昭和十七(1942)年八月七日午前四時十二分
発: ツラギ通信基地
宛: 新設された在ラバウルの第八艦隊司令部(司令長官 三川軍一中将)
緊急信: 『敵猛爆中』
午前四時二十五分
『敵機動部隊見ユ』
『敵機動部隊二〇隻「ツラギ」に来襲空爆中 上陸準備中 救援頼ム』
午前五時十九分
『敵ハ「ツラギ」ニ上陸開始』
午前六時過ぎ
『敵兵力大 最後ノ一兵迄守ル 武運長久ヲ祈ル』
以後連絡途絶
――『歴史群像 2018 APR.』より
2018年9月4日火曜日
旅順要塞第一次総攻撃
旅順要塞第一次総攻撃
明治37(1904)年8月19日~24日
日本軍 戦闘参加総員数 五万七千七百六十五
死傷者 一万五千八百六十
ロシア軍 戦闘参加総員数 約三万七千
死傷者 約千五百
24日午後五時
「強襲攻撃を一時中止する。現在地を堅固に守り、爾後の命令を待て」(乃木軍司令官)
『血風二百三高地』
明治37(1904)年8月19日~24日
日本軍 戦闘参加総員数 五万七千七百六十五
死傷者 一万五千八百六十
ロシア軍 戦闘参加総員数 約三万七千
死傷者 約千五百
24日午後五時
「強襲攻撃を一時中止する。現在地を堅固に守り、爾後の命令を待て」(乃木軍司令官)
『血風二百三高地』
登録:
投稿 (Atom)