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2015年2月11日水曜日

真崎(甚三郎)は天皇の激怒を知り、

統帥部の強硬意思を知るにおよんで、決行青年将校らとの常からの関係による疑惑をひたすら避けるべく努めた。大火事はボヤにとどめなければならない。真崎の「撤退勧告」は自分の身に火がつかないための消火作業だった。

こうなったら、ただ決行部隊を帰隊させることしかなく、それだけ責任追及が軽くなる。こと茲(ここ)に至っては真崎もひたすら保身につとめるばかりだった。
『昭和史発掘』

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