『ガダルカナル戦記』
2015年12月27日日曜日
「戦死者、出ましたねえ。
ここの戦闘というのはね、ちょうど、たとえて言えや、如露(じょうろ)の口から水が出るような弾幕でしてね。弾がね、ポンポン、パ、パ、パ……あるいはタタタ……というような戦闘の実相じゃないんですよ。敵サンのはね、狙って撃つんじゃなくて、その如露で水ひっかけるみてえに、弾あ撃つんですね。ありゃ本当の弾幕って奴ですよ。とにかく、顔をあげられるどころの騒ぎじゃなかったですね」(当時、歩兵第二百三十聨隊第一大隊第四中隊第三小隊長、川口五朗氏)
2015年12月26日土曜日
「『川口はクビだ』って、もうその場で言いましたね。
そこで東海林部隊長がすぐ電話に出たわけです。東海林さんは、『敵前でそんな無茶なことを……』と絶句されましてね。参謀長も何やら興奮した語調でしたし。参謀長、これはまあ陸大出やし、東海林さんは陸大出とりませんけれども。やれ、困る、というような問答があって、今度は丸山師団長の声に変わったんですね。『以後おまえが指揮を執れ』で、これはもうツルの一声です」(同、鎌田修一氏)
『ガダルカナル戦記』
「突入前に、右翼隊長である川口清健少将が罷免
になりました。あれね、(十月)二十四日のことですが、今夜突撃するのに、一体全体どっちの方角へ向かって突入していいか、皆目見当もつかんのですね。視界ゼロですねん。みんな、こんなバカなことがあるか言うておった。川口さんが臆病であるとか何とか、辻政信氏からいろいろ罵倒されていますけれどもね。誰だって、無茶だと内心で思うとります。もちろん、東海林聨隊長が一番よく知っとられますよ。今夜突入するというのに方向すらわからんということをね、まあ川口さんが代弁してね、われわれの気持ちを。日延べしてくれと師団司令部に要求したんです。そしたら、第二師団玉置参謀長から電話がかかってきたんです」(当時、歩兵第二百三十聨隊乙副官兼電報班長、鎌田修一氏)
『ガダルカナル戦記』
「今夜は間違いなく無電にて『バンザイ』を送る」
意気盛んな辻(政信)参謀の報告を真に受けた軍は、(昭和十七年十月)二十三日深夜、大本営、ラバウルの宮崎軍参謀長、トラックの聯合艦隊司令部に対し、「第二師団は敵に発見せらるることなく、敵に近迫(ママ)中なり。第一線よりの報告によれば予定時刻に突入しうる状態にあり」という電報を打った。この無電を受けた大本営以下では、全員が鶴首して、次に入ってくるであろう「飛行場奪回なる」の吉報を待った。
『ガダルカナル戦記』
2015年12月5日土曜日
「結局、物の考え方の次元が違っていたんでございますよ。
そしてアメリカ軍というのは大変な軍隊だということは、実際に突入していって、彼らのすさまじい応戦を肌で知ったんですがね。
……
十対一か、あるいは、ときとして百対一くらいかもしれんと思いたくなるような、それほどの戦力の差があった」(同、勝股大尉)
『ガダルカナル戦記』
「戦前にアメリカにおった駐在武官がですね、
その方が報告したものを印刷したんでしょうがね。これを要するに、戦争を始めるにあたって印刷したのでしょうね。これによると、アメリカ軍というのは、われわれのごとき軍隊とはまるっきり感じが違っておるんだと。まあ、朝もゆっくり起きて訓練を始めると、そして午前中に切り上げると、要するに猛烈な演習なんてのはやらないんだと。しかし、あんまり敵をバカにしていませんかね、と私たちは当時すでに感じたものでした。といっても、反駁のしようもない。こっちはアメリカ軍をまったく知らないんだから。このようなのが上陸前の状況でしたな。それから上陸したんですが、たちまち対空戦闘が始まってねえ、私ら歩兵が対空戦闘やらにゃならんというのは、こりゃ初めての体験ですよ。そういうことで、アメリカ軍とは何ぞや、ということを書いてあったパンフレットが、この時点ですでに役に立たなくなっておるじゃないかと」(当時、二十九聨隊第三大隊第十一中隊長、勝股治郎大尉)
『ガダルカナル戦記』
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