敵に投降した兵士の”家族”にかんするスターリンの指示をさらに厳格化することを決め、現場の各指揮官にこう申し渡した。「すべての兵士に周知徹底させよ。敵に降伏したら、諸君の家族はひとり残らず銃殺にかけるし、諸君自身も、収容所から戻ったあとは、即刻銃殺刑だ」と。
『第二次世界大戦 1939-45』
ゲオルギー・ジューコフ
2016年2月28日日曜日
なるほどソ連軍は、背後に督戦専門の政治士官や将校がいて、
兵の背中に銃口を突きつけ、突撃を強制することがままあったけれど、ソ連兵はそれでも、そうした土壇場に置かれると、必死に勇気をふりしぼり、戦いを継続するのだった。
『第二次世界大戦 1939-45』
2016年2月11日木曜日
南方軍集団司令官ルンテシュテットは、
ロストフからの撤退を意見具申した。
しかし、ヒトラーはこれを拒み「死守」を命令した。その後、乱発されることになる「死守」命令の始めのひとつである。しかし、プロイセン以来の正統な野戦軍司令官であるルンテシュテット元帥は、軍事的に無意味な命令に従うつもりはなかった。
(一九四一年)十一月二九日、ルンテシュテットは死守命令を無視して、部隊に撤退命令を下した。激怒したヒトラーはルンテシュテットを軍集団司令官から罷免した。
『西方電撃戦』
2016年2月8日月曜日
2016年2月6日土曜日
かつて赤軍を席巻した「大粛清」のせいで、
大規模部隊を動かした経験を全く持たない将校が、いまや師団長や軍団長をつとめており、しかも密告や告発、「NKVD(ソ連内務人民委員部)」による逮捕を恐れるあまり、状況にしたがって臨機応変に判断をくだす気風までが廃れていた。
『第二次世界大戦 1939-45』
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