戦闘詳報には、第三大隊長譜久村(ふくむら)安英少佐の要領を得ない、見方によればきわめて狡猾冷酷ともうけとれる応対に、抑えきれない憤懣がこめられている。
譜久村少佐は、到着地点を七三三高地と見誤っていたので、そのうえの進出を要請されても応じる必要はないと考えたとしても、軍規違反をしたわけではない。
しかし東捜索隊が敵の重囲のなかで苦闘しているとき、第三大隊が救援におもむくのは、友軍に対する義務であった。
(昭和十四年五月二十八日の午後以降、二十九日十八時頃の最後の突撃までの間)東捜索隊が全滅の危機に直面していることは、状況を判断すれば一目瞭然である。譜久村少佐が友軍を見殺しにした事実は、戦闘詳報においてどのように辻褄を合わせようとも、打ち消すことはできないことになるのではないか。
小松原師団長の日記には、譜久村少佐への批判が記されている。
一、大隊長は攻撃計画、ことに支隊の目的を理解せず、川又に進出すべき積極的精神は最初より消耗せられあり。
……
『八月の砲声 ノモンハンと辻政信』
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