おります。出撃のあの時、あんたと握手して別れた。あれはまだ、いまだに、手に残っております。あんたが輸送船やったかな、撃沈したのを艦長は潜望鏡で確認されておりますので、本当によう首尾よく目的を果たされたなあと思って感激しております。日本はあれ以来、何とか栄えております。どうかご安心ください」(人間魚雷回天の元搭乗員、坂本雅俊氏)
「我々の潜水艦が攻撃を受け、あわやというあの時点、朝の四時、まだ薄暮やったと思いますが、荒川(正弘)君は無事発進されて駆逐艦をやっつけていただいた。関(豊興)さんと荒川君のおかげで潜水艦は助かった。私は故障でその時出られなくて本当に申し訳なかった。もう六十何年、悶々としておりました。あんたらのおかげで生き長らえさせていただいておりますが、本当に申し訳ないと思っております」(同、坂本氏)
『日本海軍400時間の証言』
2014年10月28日火曜日
「軍令部の参謀なんか
本当にくそっ食らえと私は言うんですが、ああいう奴らは戦時中ひどいことをやりながら、自分は戦後関係ないけれど、実戦におった隊長とか参謀とかは非常に苦しみながら、戦後も死ぬまで担(かつ)いだと思います」(大津島出身の元海軍兵士で「回天顕彰会」会長を務める、高松工氏)
『日本海軍400時間の証言』
『日本海軍400時間の証言』
2014年10月19日日曜日
神風特別攻撃隊が初めての
組織的な体当たり攻撃を実施したのは、昭和十九年十月二十五日のことであった。先立つ七月に「大海指」が出ており、そこに「特攻作戦をやれ」と明記されているのだという。しかも、その七月の命令のさらに四ヶ月前の三月には、鳥巣(建之助)元中佐自身が「(回天)特攻作戦をやれ」と指示を受けていたというのである。
(鳥巣)元中佐が送り出した回天搭乗員は八十九人に上った。
当時、海軍のすべての作戦を統括していたのは、軍令部一部長の中澤(佑)元中将だった。つまり、鳥巣元中佐は、中澤元中将が部長を務める軍令部第一部の指示で、回天作戦の参謀を務め、兵士たちを死地に送り出していたのである。
『日本海軍400時間の証言』
(鳥巣)元中佐が送り出した回天搭乗員は八十九人に上った。
当時、海軍のすべての作戦を統括していたのは、軍令部一部長の中澤(佑)元中将だった。つまり、鳥巣元中佐は、中澤元中将が部長を務める軍令部第一部の指示で、回天作戦の参謀を務め、兵士たちを死地に送り出していたのである。
『日本海軍400時間の証言』
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