ソ連はこの年(昭和二十年)二月のヤルタ会談の秘密協定によって、ドイツ降伏後三カ月をメドにして対日参戦することになっていたからだ。しかし(情報局総裁)下村(宏)も指摘するように、(ポツダム宣言の)「黙殺」はソ連に体よく利用される表現でもあった。
『昭和天皇実録 その表と裏』
2017年6月18日日曜日
2017年6月15日木曜日
統帥部への激しい怒り
(昭和天皇)実録には書かれていないが、五月三十日(昭和十八年)に参謀総長の杉山元が戦況上奏した折には、「アッツ島部隊は任務に基づいて最後までよくやった。右通信で伝達する」よう伝えると、杉山は「暗号書は焼却され、通信機は破壊されております。聖旨のほどを届けることはできません」と答えた。天皇は次のように反論したという(中尾裕次編『昭和天皇発言記録集成』)。
「届かなくてもいいから北太平洋に向けて電波を出せ」
『昭和天皇実録 その表と裏』
「届かなくてもいいから北太平洋に向けて電波を出せ」
『昭和天皇実録 その表と裏』
東部軍司令部(昭和十七年四月)十八日発表
「午後零時三十分ごろ敵機数方向より京浜地方に来襲せるも、我が空、地両航空部隊の反撃を受け、逐次退散中なり、現在までに判明せる敵機墜落数は九機にして我が方の損害軽微なる模様、皇宮は安泰に亙(わた)らせらる」
日本上空では一機も撃墜されなかったのに、九機撃墜との発表に対し、「落としたのは九機ではなく空気だ」と陰口を叩かれたという(富永謙吾『大本営発表の真相史』)。
『昭和天皇実録 その表と裏』
日本上空では一機も撃墜されなかったのに、九機撃墜との発表に対し、「落としたのは九機ではなく空気だ」と陰口を叩かれたという(富永謙吾『大本営発表の真相史』)。
『昭和天皇実録 その表と裏』
2017年6月9日金曜日
(昭和天皇)実録には幾つかの意外な証言がある。
たとえば昭和十六年七月七日には、海相の及川古志郎の奏上の折に、次のように語ったとある。
「当初仏印出兵に反対で軍令部総長(保阪注・永野修身)が、部下の進言により決心するかの如き話があるとされ、志に動揺を来しては困ること、また日米交渉に対しても冷淡な様子であるとして疑問を呈される」
天皇は海軍の軍令部総長に信を置いていないともいえる。
『昭和天皇実録 その表と裏』
「当初仏印出兵に反対で軍令部総長(保阪注・永野修身)が、部下の進言により決心するかの如き話があるとされ、志に動揺を来しては困ること、また日米交渉に対しても冷淡な様子であるとして疑問を呈される」
天皇は海軍の軍令部総長に信を置いていないともいえる。
『昭和天皇実録 その表と裏』
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