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2018年1月22日月曜日

Air Raid Pearl Harbor This Is No Drill !!!

(真珠湾空襲、演習にあらず)
ホノルル海軍航空基地作戦士官ローガン・ラムジー中佐は、無線室に向かって廊下を走り、当番兵に上記の電文を平文で打てと命じた。

2017年9月1日金曜日

(昭和)天皇自身は、終戦直後の四五年(昭和二十年)九月二十七日、

マッカーサーとの会見で「私は全責任をとる」と発言した。その一方で、当時の状況として開戦を拒否することは困難であったとの認識も示した。
「国内は必ず大内乱となり、私の信頼する周囲の者は殺され、私の生命も保証出来ない、それは良いとしても結局狂暴な戦争が展開され、今次の戦争に数倍する悲惨事が行われ、果ては終戦も出来兼ねる始末となり、日本は亡びる事になったであろうと思う」(『昭和天皇独白録』)
『検証 戦争責任』

2017年6月26日月曜日

天皇は、杉山元参謀総長と永野修身軍令部総長を呼び出して

開戦となった場合の見通しを質し、陸軍は南方を三ヵ月で片付けるという杉山に「杉山は支那事変勃発のときは陸軍大臣として一ヵ月で片付くと言ったが四年も続いているではないか」と問い詰めて、タジタジとさせています。(保阪正康氏)
『昭和の戦争』

大詔を拝し奉りて

昭和十六(一九四一)年十二月八日  東条英機

只今宣戦の御詔勅が渙発せられました。精鋭なる帝国陸海軍は今や決死の戦を行いつつあります。東亜全局の平和は、これを念願する帝国のあらゆる努力にも拘らず、遂に決裂の已むなきに至ったのであります。
過般来政府は、あらゆる手段を尽し対米国交調整の成立に努力して参りましたが、彼は従来の主張を一歩も譲らざるのみならず、かえって英、と連合し支那より我が陸海軍の無条件全面撤兵、南京政府の否認、日独伊三国条約の破棄を要求し帝国の一方的譲歩を強要して参りました。これに対し帝国は飽く迄平和的妥結の努力を続けましたが、米国は何ら反省の色を示さず今日に至りました。若し(もし)帝国にして彼等の強要に屈従せんか、帝国の権威を失墜し支那事変の完遂を期し得ざるのみならず、遂には帝国の存立をも危殆に陥らしむる結果となるのであります。
事茲(ここ)に至りましては、帝国は現下の危機を打開し、自存自衛を全うする為、断乎として立ち上るの已むなきに至ったのであります。今宣戦の大詔を拝しまして恐懼(きょうく)感激に堪へず、私不肖なりと雖(いえど)も一身を捧げて決死報国、唯々(ただただ)宸襟(しんきん)を安んじ奉らんと念願するのみであります。国民諸君も亦(また)、己が身を顧みず、醜の御楯(しこのみたて)たるの光栄を同じくせらるるものと信ずるものであります。
およそ勝利の要訣は、「必勝の信念」を堅持することであります。建国二千六百年、我等は、未だ嘗つて戦いに敗れたるを知りません。この史績の回顧こそ、如何なる強敵をも破砕するの確信を生ずるものであります。我等は光輝ある祖国の歴史を、断じて、汚さざると共に、更に栄ある帝国の明日を建設せむことを固く誓うものであります。顧みれば、我等は今日迄隠忍と自重との最大限を重ねたのでありますが、断じて安きを求めたものでなく、又敵の強大を惧れたものでもありません。只管(ひたすら)、世界平和の維持と、人類の惨禍の防止とを顧念したるにほかなりません。しかも、敵の挑戦を受け祖国の生存と権威とが危きに及びましては、蹶然(けつぜん)起(た)たざるを得ないのであります。
当面の敵は物資の豊富を誇り、これに依て世界の制覇を目指して居るのであります。この敵を粉砕し、東亜不動の新秩序を建設せむが為には、当然長期戦たることを予想せねばなりませぬ。これと同時に絶大なる建設的努力を要すること言を要しませぬ。かくて、我等は飽くまで最後の勝利が祖国日本にあることを確信し、如何なる困難も障碍も克服して進まなければなりません。是こそ、昭和の臣民我等に課せられたる天与の試錬であり、この試錬を突破して後にこそ、大東亜建設者としての栄誉を後世に担うことが出来るのであります。
この秋に当り満洲国及び中華民国との一徳一心の関係愈々(いよいよ)敦く、独伊両国との盟約益々堅きを加えつつあるを、欣快とするものであります。帝国の隆替、東亜の興廃、正に此の一戦に在り、一億国民が一切を挙げて、国に報い国に殉ずるの時は今であります。八紘を宇と為す皇謨の下に、此の尽忠報国の大精神ある限り、英米と雖も何等惧るるに足らないのであります。勝利は常に御稜威(みいつ)の下にありと確信致すものであります。
私は茲に、謹んで微衷を披瀝し、国民と共に、大業翼賛の丹心を誓う次第であります。


2017年2月22日水曜日

前日(昭和16年12月2日)の午後二時〇分には、

大本営陸軍部から南方軍、南海支隊、支那派遣軍等に対し、
一、大陸命第五六九号(鷲)発令あらせらる
二、「ヒノデ」は「ヤマガタ」とす
三、御稜威(みいつ)の下切に御成功を祈る
四、本電受領せば第二項のみ復唱電あり度
という電報が、参謀総長から一斉に発信されている。
『昭和の戦争 開戦前夜に』

2016年12月3日土曜日

謎の北上

静かな北上であった。空母蒼龍は第二航空戦隊(注、以下「二航戦」と略記する。他航空戦隊も同じ)旗艦で、飛龍とともに同(一九四一年(昭和十六年)十一月)十八日、九州佐伯湾を抜錨した。第一航空戦隊の空母赤城はそれに先行し、空母加賀はおくれた。第五航空戦隊(五航戦)の空母瑞鶴、翔鶴は十九日零時に別府湾を進発して北上を開始した。いずれも訓練を装った隠密行である。
『真珠湾攻撃作戦』

2015年11月29日日曜日

昭和十六年十一月二十六日、南雲の機動部隊は

雪の単冠湾から、最終目的地へ向かい三千マイルの征旅についた。
『真珠湾のサムライ 淵田美津雄』

2015年7月5日日曜日

一撃で予想外の戦果をあげ、

ほとんど無傷でひきあげたことは、日本海軍の多くのリーダーたちを、戦果が自分らの才覚と実力によるものと錯覚させて思いあがらせ、無防備の敵にたいする闇討ちのせいであったことを忘れさせた。
『勝つ司令部  負ける司令部』

2015年5月6日水曜日

十二月一日、御前会議は決定した。

十一月五日決定の「帝国国策遂行要領」に基く対米交渉は成立するに至らず
帝国は米英蘭に対し開戦す

翌二日午後五時三〇分、山本五十六連合艦隊司令長官も、すでに北緯四十度、西経一七五度付近をハワイに向かって進む機動部隊に、打電した。
「ニイタカヤマノボレ一二〇八」
「十二月八日午前零時(東京時間)を期して開戦」の命令である。

2014年10月19日日曜日

開戦 海軍あって国家なし

国家の存亡、国民の命がかかっていたこの時期に、海軍首脳部は自分たちの組織のことばかり考えていたのである。後の反省会で、豊田元大佐が、軍部は「陸海軍あるを知って、国あるを忘れていた」と自己批判するが、海軍を守るために一か八かアメリカと戦争するというのは、まさに「海軍あって国家なし」という思考そのものである。
『日本海軍400時間の証言』

2014年8月9日土曜日

開戦日は、とくにハワイ空襲に

好都合な条件を考えて、すでに陸海軍作戦当局者の間で決定されていた。米艦隊が多く碇泊し、油断しがちな日曜日、そして攻撃隊発艦に便利な残月が日出前まで輝く日ーー十二月八日である。十一月七日、山本五十六連合艦隊司令長官は、準備命令とともにY日(開戦概定日)を指示した。
機密連合艦隊命令作第二号
昭和十六年十一月七日 佐伯湾旗艦長門
連合艦隊司令長官 山本五十六
連合艦隊司令
第一開戦準備ヲナセ
Y日ヲ十二月八日ト予定ス(終)