その後欧米諸国の圧迫干渉をうけ、ことに一九二〇年の新四国借款団(原内閣期)以来、権益の削弱を余儀なくされた。さらに、ワシントン会議、ロンドン軍縮会議などの圧迫によって、国防力は相対的に低下した。そのことが、「支那をしていよいよ増長せしめ、その革命外交の進展にともない、排日侮日の行為を逞うせしむる」要因をなし、「支那に乗ぜしむるの隙」を与えることとなった。したがって満州国承認後も、「これに対する支那の反抗は今後直接間接いよいよ熾烈となるであろう」。永田(鉄山)はそう考えていた。
『昭和陸軍全史』
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