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2018年1月31日水曜日

軍艦の艤装は、

ある程度、工事が進むと、実際にそのフネに乗り組んで運用する人たちが加わる。艤装員とよばれるこの人たちの仕事は、設計や建造の段階で見落とされた使い勝手などの細かな点について改良を指示することもあるが、むしろ竣工後の乗組員予定者として早くからそのフネに慣れさせておこうというのが狙いだ。
『飛龍 天に在り』

2018年1月26日金曜日

伝統から得た「義」 信条に

故・西部(邁、すすむ)さんが歴史的な伝統から得たもっとも大事な価値は、義へ向けた精神であり、自立の矜持であり、節度であり、優れたものを前にした謙虚であり、逆にきらったものは、怯懦(きょうだ)や欺瞞であり、虚栄であり、独善的な自己宣伝であった。(佐伯啓思氏)

「戦争を知っている世代が政治の中枢にいるうちは

心配ない。平和について議論する必要もない。だが、戦争を知らない世代が政治の中枢となったときはとても危ない」(田中角栄元首相)
――『戦争の大問題』より

2018年1月22日月曜日

Air Raid Pearl Harbor This Is No Drill !!!

(真珠湾空襲、演習にあらず)
ホノルル海軍航空基地作戦士官ローガン・ラムジー中佐は、無線室に向かって廊下を走り、当番兵に上記の電文を平文で打てと命じた。

2018年1月21日日曜日

「何度だって行って、爆弾を命中させます」

という佐々木(友次)さんに、「必ず死んでもらう」と繰り返し特攻が命じられる。
――『不死身の特攻兵  軍神はなぜ上官に反抗したか』より

「(……)(まず雷撃隊は全滅するだろうな。

おそらくいちばん先に靖国神社へ行くことになるだろう)そんなことを考えながら隊員たちの顔を見わたすと、気のせいかだれもが真剣そのものの表情をしている」
――蒼龍雷撃隊員森拾三二飛曹の手記より
『真珠湾攻撃作戦』

2018年1月17日水曜日

出撃前、真珠湾を見立てた雷撃訓練は

彼(中村豊弘二飛曹)の想像を絶する過酷さであった。中村二飛曹はこれをシンガポール港湾攻撃と誤解していたが、その訓練は、まず訓練用魚雷を抱いた九七式艦上攻撃機で鹿児島基地を飛び立ち、城山の右、甲突川上流三、〇〇〇メートル上空に占位することからはじめられた。
「全軍突撃せよ」の合図で単縦陣となり、西方山に囲まれた女学校校舎を目標に、四五度の緩降下で一気に沖合の浮標に殺到する。
そのときには、校舎三階の女学生が見下ろすことができるほどの低空を飛んでいる。(うるさくて勉強はできないだろうな)と、つぶやきながら高度二〇メートル、機速一六〇節で魚雷を投下する。
この高さでは高度計は零を指し、翼端には波しぶきがかかりそうな低空飛行となる。
『真珠湾攻撃作戦』

2018年1月13日土曜日

蒼龍の水平爆撃隊指揮官阿部平次郎大尉は、

嚮導機の金井昇一飛曹が一日もおかず格納庫に入り、自機の九七艦攻で爆撃照準のテストをくり返すのを眺めていた。
艦型を形どった大きな紙を下に敷き、整備員たちが徐々に引き出すのを見下ろしながら、「ヨーイ」「テイ!」で投下索を引くのである。それを、あかずくり返す。
「私はそれを見て感嘆しながら、この男と一緒ならば命中間違いなしとの確信を持っていた」
『真珠湾攻撃作戦』

2018年1月9日火曜日

ミッドウェー島北東海面で待ち伏せ

応急修理が終わったばかりの「ヨークタウン」を擁した第十七機動部隊が、第十六機動部隊(「エンタープライズ」、「ホーネット)」の待つ”幸運点”にすがたをあらわしたのは、六月二日のことであった。
合流した二つの部隊は、この、ミッドウェー島の北東四百マイルの洋上を、いったりきたりしながら、日本機動部隊の進攻を待ち受けていた。

(珊瑚海海戦での)「ヨークタウン」の傷は

二発の至近弾と、一発の直撃弾によるものであった。至近弾の被害は軽かったが、直撃弾は飛行甲板の下段で爆発し、周囲百フィートにもわたって構造物を破壊していた。
(……)
「どんなにいそいでも数週間はかかるであろう」(工場長のK・ジット大佐と、船体修理の専門技師J・プイングスターグ少佐の見積もり)
(……)
「われわれはこの艦を、どうしても三日間で修理しなければならない」(チェスター・ニミッツ)
低い声だったが、しかし、あくまで断定的なひびきがこもっていた。
――『ミッドウェー戦記』より