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2014年9月14日日曜日

「眼に映るものは、懸命な消火作業と、

そして死者、重傷者の山です。甲板士官の働きぶり。逃げる者は斬る、という意味からでしょうか、抜き身の軍刀をふりかざしながら、一番危険な場所に立って消火指揮をしていた掌整備長、かれの姿はつぎの瞬間に起こった誘爆でけしとび、あとかたもなく消えました。」
(同、後藤仁一氏)

「まず、赤城第一弾命中時、

戦闘機は発艦していたかという御質問ですが、一機だけ発艦しておりました。前便でお答えした福田拓中尉が、その一番機が飛行甲板の突端にでてゆくのと、艦の動揺を見くらべつつ二番機の車輪止めをはずさせる機会をうかがっているときでした。
”敵艦爆、本艦直上、突っ込んでくる!”という意味の声(絶叫といった方がいいでしょう)をきいたと記憶しています。しかし、そのまえにすでに”蒼龍やられました””加賀も……”という声があがり、小生は左遠方の蒼龍、加賀から黒煙がたちのぼるのを見てなかば呆然となっていた最中でした。」
(当時大尉で「赤城」艦攻分隊士の一人であった後藤仁一氏)

2007年12月8日に聴く、1941年12月8日のラジオニュース - YouTube

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2014年8月24日日曜日

「いいか、俺と編隊を組んだら、

絶対にお前たちジャク(若年搭乗員)が敵を墜とそうなんて考えるな。敵機は俺が墜とすから、とにかく俺について来い。俺が撃ったら、お前たちも、敵は見なくていいから同じように撃て。そしたら協同撃墜になるんだから」
そう、これはかつて、杉田(庄一)がまだ「ジャク」の頃、宮野(善治郎)大尉が初陣の列機に与えたのとまったく同じ注意であった。

宮野機帰らず

「宮野(善治郎)大尉が煙を吐いた中村(佳雄)二飛曹機に不時着の指示を与え、空戦場に引き返してきた後、二度見た。翼端が切ってあり(三二型)、胴体に黄帯二本のマークのついた隊長機が飛び回っているのを見ましたよ」
(八木隆次二飛曹回想)

乱戦の中で二度、八木が見たのを最後に、宮野機の行方は杳として知れなくなった。

宮野の最期の状況については判然としない。

宮野と森崎(武予備中尉)、二◯四空で二人だけの士官搭乗員が二人とも帰らなかったのは、隊員たちにとって大きな痛手であった。

零式艦上戦闘機三二型

「艦爆危うしと見るや、救うに術なく、

身をもって敵に激突して散った戦闘機、火を吐きつつも艦爆に寄り添って風防硝子を開き、決別の手を振りつつ身を翻して自爆を遂げた戦闘機、あるいは寄り添う戦闘機に感謝の手を振りつつ、痛手に帰る望みなきを知らせて、笑いながら海中に突っ込んでいった艦爆の操縦者。泣きながら、皆、泣きながら戦っていた」
(同、大野中尉)

「今や艦爆隊を守り通すために、

戦闘機は自らを盾とせねばならなかった。降り注ぐ敵の曳痕弾と爆撃機の間に身を挺して、敵の銃弾をことごとく我が身に吸収し、火達磨となって自爆する戦闘機の姿、それは凄愴にして荘厳なる神の姿であった。一機自爆すれば、また一機が今自爆した僚機の位置に代わって入って、そして、また、敵の銃弾に身を曝して爆撃機を守った。」
(直掩任務を帯びた二五一空・大野竹好中尉の遺稿)