ページ

2015年6月21日日曜日

当時、極東ソ連軍と日本軍の兵力比は三対一と

推定されていた。しかもソ軍は重装備近代式の軍隊だったが、日本軍といえば、ほとんど日露戦争当時のままの装備・戦法でしかなかった。陸軍内のソ連通といわれた人々は、こうした実情を憂えて、機会あるごとに警告していたが、軍部内には不可解な"対ソ軽視"の気風がみなぎっており、ソ連通の人々は"先覚者"ではなく"恐ソ病"というレッテルを貼られて、とかく軍の主流からは、はずされてしまう実情だったのである。
『ノモンハン事件』

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。