思う人はいます。今村均大将、井上成美大将、小沢治三郎中将……彼らの戦後の生き方は、やはり日本人のいいところを示しました。あのようなバカげたことはもうしない、と戦争責任を真っ正面から受け止めてね。わたくしは、昭和の人にも、この断絶としっかりと立ち向かった人たちに限っていえば、自制と謙虚の美しい昭和の精神があったと思いますね。
『あの戦争と日本人』
2018年6月9日土曜日
2017年8月2日水曜日
小沢治三郎中将は、「戦(いくさ)は人格なり」
「部下統率の極意は無欲」を信条とし、「独創性」「合理性」「現実性」「適応性」を尊重した。「水雷屋」出身でありながら、いち早く飛行機の将来を認め、来たるべき海上決戦の主力は空母航空戦であることを予知し、機動艦隊の編成を早くから具申している。
『連合艦隊 サイパン・レイテ海戦記』
(井上成美大将と)同じく戦後、清貧のうちに八十歳で死んだ小沢治三郎提督の葬 儀
(昭和四十一年十一月十三日、死去は九日)には米国大使館駐在武官も参列し、モリソン博士も「偉大な戦略家であり船乗りであった小沢提督の死を悼む」という弔辞を寄せている。ニミッツ元帥は、「敗将といえども、彼に可能性が認められる限り名将である。小沢提督の場合、その記録は敗北の連続だが、その敗北の中に恐るべき可能性をうかがわせている」と語っている。
『連合艦隊 サイパン・レイテ海戦記』
2017年7月28日金曜日
戦後の小沢(治三郎)は、世に出ることを嫌い、
手記の類や談話の提供も拒絶して沈黙の人生を送った。それでも「あのとき(レイテ沖海戦で)、まじめに戦争をしたのは、西村一人だったよ」と漏らしている。小沢は言外に、「スリガオ海峡沖海戦」で戦死した西村祥治司令官以外の、レイテ沖で戦った自分自身を含めた各指揮官の働きを否定したのかもしれない。(手塚正己氏)
『歴史群像 OCT.2016』
西村祥治中将
『歴史群像 OCT.2016』
西村祥治中将
2017年7月27日木曜日
(小沢治三郎中将は)終戦直前に米内光政海軍大臣から大将に推戴されたが、
「いま必要なのは位階ではない」と固辞した。硬骨漢として知られた小沢らしい心ばえが見て取れる。終戦直後、部下を道連れに特攻出撃した宇垣纒中将の行為を、軍令違反だと非難した。(手塚正己氏)
『歴史群像 OCT.2016』
2017年7月2日日曜日
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