西村(祥治)中将は平常とまったく変らない落ち着いた声でいった。これが司令官の声を聞いた最後のものであった。おそらくこの報告はブルネイ湾を出撃するときから、司令官が考えておられた文句であろう。いや、私はそう確信するのである。司令官はレイテ湾を死に処ときめていたにちがいない。
(……)
山城の乗員約千四百名、生き残ったものわずかに十名。また山城と行をともにし、ともにスリガオ海峡で沈んだ扶桑(乗員約千三百五十)の生存者も十名を数えるだけである。(戦艦山城主計長(大尉)江崎寿人氏)
『完本・太平洋戦争』
スリガオ海峡夜戦
2017年8月12日土曜日
西村(祥治)艦隊の潰滅的な最後は、太平洋戦争における
最も無残な殲滅戦であったとされている。海峡の闇の中で、日本側は戦艦二隻、駆逐艦三隻を失い、戦死者約四〇〇〇名に及んだのに対して、米側の被害は魚雷艇一隻を失っただけで、戦死者は約四〇名にすぎなかった。この「スリガオ海峡夜戦」("The Battle of Surigao Strait")は、航空機を伴わない史上最後の艦隊決戦となった。
『連合艦隊 サイパン・レイテ海戦記』
西村祥治中将
『連合艦隊 サイパン・レイテ海戦記』
西村祥治中将
2017年7月28日金曜日
戦後の小沢(治三郎)は、世に出ることを嫌い、
手記の類や談話の提供も拒絶して沈黙の人生を送った。それでも「あのとき(レイテ沖海戦で)、まじめに戦争をしたのは、西村一人だったよ」と漏らしている。小沢は言外に、「スリガオ海峡沖海戦」で戦死した西村祥治司令官以外の、レイテ沖で戦った自分自身を含めた各指揮官の働きを否定したのかもしれない。(手塚正己氏)
『歴史群像 OCT.2016』
西村祥治中将
『歴史群像 OCT.2016』
西村祥治中将
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