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2017年8月2日水曜日

(井上成美大将と)同じく戦後、清貧のうちに八十歳で死んだ小沢治三郎提督の葬 儀

(昭和四十一年十一月十三日、死去は九日)には米国大使館駐在武官も参列し、モリソン博士も「偉大な戦略家であり船乗りであった小沢提督の死を悼む」という弔辞を寄せている。ニミッツ元帥は、「敗将といえども、彼に可能性が認められる限り名将である。小沢提督の場合、その記録は敗北の連続だが、その敗北の中に恐るべき可能性をうかがわせている」と語っている。
『連合艦隊  サイパン・レイテ海戦記』

米海軍が日本の提督のうち、

戦略家として最も高い評価を与えたのは山本五十六元帥よりは小沢治三郎中将ではなかったかと思われる。

『連合艦隊  サイパン・レイテ海戦記』

2017年8月1日火曜日

初陣の旗艦「大鳳」轟沈

「翔鶴」が(敵潜カバラの三本の命中魚雷により)沈没して間もない(昭和十九年六月十九日)一四三二、目前の「大鳳」が突如、目のくらむような大爆発を起こした。再び潜水艦の攻撃かと思われたが、その原因は、(敵潜アルバコアからのガソリン・タンク付近への一本の命中魚雷を受けていた為)ガソリンの臭気を抜くため、すべてのベンチレーター(換気栓)を開放したことが、ガソリンと重油の揮発性ガスを艦内に充満させ、艦全体を爆発寸前の巨大なシリンダーと化してしまい、それに排気のための電動送風機の火花が引火したのである。爆撃に耐えうるための厚い飛行甲板が、下からの爆発を押えたため、爆発圧力をさらに強める結果となり、甲板を小山のように盛り上げながら二つに割れ、内部の人員を圧殺して、艦内を阿鼻叫喚の灼熱地獄と化し、隔壁を横に打ち破った火柱が艦側から轟然と沖天に噴き上がった。昼食を終えて艦橋に上がった筆者(羽黒乗艦)の目前に、目のくらむような閃光が走り、大音響が伝わり、艦載機の破片に混って四肢を虚空に大の字に突っ張って吹き上げる乗員のいくつもの姿が、艦橋からまざまざと双眼鏡に映る。
『連合艦隊  サイパン・レイテ海戦記』

空母大鳳

2017年7月31日月曜日

昭和十九年五月二十七日、米軍ビアク来攻。

ビアクを失えばパラオは敵機の攻撃圏内に入り、また、ミンダナオ東方での機動部隊の行動は不可能となるので、「あ号作戦」が成立しなくなるおそれがあった。このようにビアクは、「戦局の分岐点たる関ヶ原」(宇垣纒『戦藻録』)と言われるまでに重要視されていた。
(中略)
連合艦隊が渾作戦に気を取られ、ビアク島に日本側の注意が注がれている間に、米軍の大部隊はビアク島のはるか東北一三〇〇浬の主目標サイパンに向かっていたのである。連合艦隊に見捨てられたビアク島約一万名の守備隊(支隊長葛目直幸大佐)は、奮戦むなしく玉砕し、八月中旬以降その連絡が途絶えた。
『連合艦隊  サイパン・レイテ海戦記』

2017年7月30日日曜日

(米軍の場合)強く批判されるのは無益な流血の戦闘を指揮した場合で、

タラワの上陸戦(昭和十八年十一月二十一日〜二十五日)はその例である。用兵を誤った指揮官は調査査問をうけ、場合によっては容赦なく更迭されている。
『連合艦隊  サイパン・レイテ海戦記』

「(前略)……ただ残念なことは、日本は経済的打撃からは

奇蹟的に立ち直りましたが、精神的打撃の傷あとは今なお深く、私達が戦い抜いてきた戦争も何故か国民が公には触れたがらない歴史、秘めたる歴史のページになっているのであります。いたずらに戦争の悲惨な面のみが強調され責任のみが追及される世相、価値判断が全く異なってしまった若者達に、あの戦争とそれを戦った人々のほんとうの姿を理解させることは困難だからです。……」(昭和四十六年五月十六日、佐世保に建立された重巡「羽黒」慰霊碑の除幕式における、生存者代表、元「羽黒」通信長元良勇氏による祭文)
『連合艦隊  サイパン・レイテ海戦記』

重巡羽黒

2016年10月22日土曜日

2016年9月24日土曜日

「本当に数多くの優秀な人を死なせてしまった。

申し訳ないと思っている。それを思うと、周囲の情勢がガラリと変わったからといって、自己の主義主張を変えて平気な連中の多いことを、わしは心から残念に思うのだが……」(小沢治三郎氏)
『完本・列伝 太平洋戦争』


2015年6月14日日曜日

「あ」号作戦では、日本機の長い航続力を生かして

敵艦上機の攻撃圏外から攻撃隊を発進させる「アウトレンジ戦法」をとることになっていたが、肝心の搭乗員の練度がこれでは、そう都合よく戦いが運べるはずがない。
『特攻の真意』