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2017年8月19日土曜日

東條英機の官僚体質

昭和二十年八月十日の御前会議によって、日本はポツダム宣言の受諾を決定した。東條はこの会議の三日後、八月十三日に自らの心境を日記風にまとめている。
「もろくも敵の脅威に脅え簡単に手を挙ぐるに至るがごとき国政指導者及国民の無気魂なりとは夢想だもせざりしところ、これに基礎を置きて戦争指導に当りたる不明は開戦当時の責任者として深くその責を感ずる」
この手記に目を通したとき、私はすぐに二つ感想を抱いた。ひとつは、軍官僚としての東條には、敗戦という未曾有の事態に際しても、指導者としての自らの責任に対する反省がまったくないということ。もうひとつは、戦争指導にあたって三百万人余の国民を犠牲にしながら、その痛みに対して何の思いも馳せていないことである。
『官僚亡国  軍部と霞が関エリート、失敗の本質』

東條英機

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