ヤルタ会談(1945年2月8日の極東密約)にて秘密裏に対日宣戦が約束されていた。
ヤルタ会談でソ連が対日参戦を秘密裏に決めた後の1945年4月5日、ソ連のモロトフ外相は佐藤尚武駐ソ大使を呼び、日ソ中立条約を破棄する旨を通告した(モロトフが佐藤に対して「ソ連政府の条約破棄の声明によって、日ソ関係は条約締結以前の状態に戻る」と述べた)が、佐藤が条約の第3条に基づけばあと1年は有効なはずだと返答したのを受け、モロトフは「誤解があった」として日ソ中立条約は1946年4月25日までは有効であることを認めた。
1945年5月8日、ドイツが無条件降伏。
ソ連は8月8日(モスクワ時間で午後5時、満州との国境地帯であるザバイカル時間では午後11時)に突如、ポツダム宣言への参加を表明した上で「日本がポツダム宣言を拒否したため連合国の参戦要請を受けた」として宣戦を布告、事実上条約を破棄した。9日午前零時(ザバイカル時間)をもって戦闘を開始し、南樺太・千島列島および満州国・朝鮮半島北部等へ侵攻した。
この時、日本大使館から本土に向けての電話回線は全て切断されており、完全な奇襲攻撃となった。
満州で全滅した開拓団は10を数え、死亡者は約7万2千人に及んだ。
不信の国!
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