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2018年6月3日日曜日

番号を持つ特設航空隊の誕生

番号を冠した特設航空隊の筆頭が「十二」で始まるのは、(支那)事変勃発の前年、昭和十一年(一九三六)九月に南支で北海事件が発生した際に九六式陸上攻撃機(中攻)と九五式陸上攻撃機(大攻)とで第十一航空隊が編成されて、短期間台湾に展開したことによる。

また、この当時の特設航空隊は「第十二航空隊」が正式な名称で、太平洋戦争中期(昭和十七年十月以降)の特設航空隊が「第三〇ニ海軍航空隊」と呼ばれたように隊名の途中に「海軍」を挟まない。

第十二航空隊は佐伯航空隊を基幹として旧式の九〇式艦戦六機と九五式艦戦六機、九四式艦爆十二機、九二式艦攻十二機の小型機部隊として編成され、大村航空隊を基幹として九〇式艦戦六機、九六式艦戦六機、九六式艦爆六機、輸送機一機で編成された第十三航空隊と共に第二連合航空隊(七月十五日編成完了)として運用された。

制空と航空撃滅戦の補助、そして地上部隊への協力を主任務とする小型機部隊が第二連合航空隊だった。
『歴史群像  2018 FEB.』

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