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2014年8月13日水曜日

「岩井、元気で生きていたか。

こうなってきては、古い搭乗員が減ってしまってどうにもならん。気をつけて長生きしてくれよ。おれは今日内地から来た。要件があってダバオへ行く途中だ」
「お気をつけて下さい」
これだけの言葉を交わして別れた。進藤少佐は、昭和十五年の日華事変当時、零戦十三機を率いて重慶を攻撃し、敵戦闘機二十七機を撃墜という輝かしき戦果をあげたときの指揮官であった。

それにしても、中島大尉の

やり方はまずかった。彼は自らの接敵運動のまずさから、初陣において自らの生命を絶った。
彼は射撃の基本である反航接敵、後上方攻撃しか修得していなかったのではなかろうか。
敵を発見したとき、自分が敵より一五◯◯メートルも下方にいながら、敵の目前を、敵より低速でフラフラと上昇し、わずか一◯◯メートルくらいの高度差で切り返し、敵の指揮官機を狙ったのであろうが、自分に速度がないため反覆攻撃ができず、やむを得ず敵編隊の下方へ避退するより方法がなかった。しかし速度不足のため、すぐ敵に食いつかれ、火を噴いてしまったのである。
接敵運動の良否は、勝敗の七割を決するのである。指揮官機たる者は十分心すべきことである。

2014年8月12日火曜日

比島沖海戦

「わが機動部隊の任務は、レイテ湾に突入する目的をもって、ボルネオ方面より北上しつつあるわが連合艦隊が、目的を完全に達成し得るよう、側面からこれを援助し、連合艦隊の行動を容易に導くためのものである。わが艦隊は全滅するとも、この主力部隊の行動を支援する決意である。マニラにある二◯一空の戦闘機隊は、搭乗員の熱烈なる志願の結果、爆弾を搭載して敵空母に体当たりすることが決定した(これは関行男大尉らのわが国最初の特別攻撃隊敷島隊を指す)。諸子は小官の意を諒とし、決意を新たにして任務を全うせよ」
私はこの小沢長官の訓示を目前で聞き、いよいよ来るべきものが来たなァと思った。

訓練時において私(岩井 勉)たちは、

自分より上官である士官を列機に従えて離陸し、空戦を教え、射撃を教え、帰着後、
「あなたは今こんなことをされたが、あんなことをしてはいけません。実戦の場合には落とされてしまいますよ」
と丁重に注意する。もちろんこれらの上官は、
「そうですか、注意します」
と素直に答えてくれるが、これが一度出撃するとなると、彼らは私たちの指揮官としてわれわれの前に立ち、敵地に誘導し、敵機と第一撃を交えるまでは、彼に従わざるを得ないのである。
檜舞台において主従が交代し、指揮のまずさから不利な空戦を強いられ、出さずにすむはずの犠牲を多く出したことは、海軍の制度の誤りがそうしたのであって、数々の反省事項中、最も大きく指摘されなければならない点であると考える。

洋上着艦するとき、

波とうねりのため、艦尾で二メートルの上下の揺れがあるのが普通である。そのうえローリングはしているし、艦尾を左右に振っている。この三つの動きを同時にしている母艦に着艦するのだから、正に神技といっても過言でないと思う。昼間はまだしも、夜間着艦となるとなおさらのことである。

2014年8月11日月曜日

私(岩井 勉)は「い」号作戦に

全部参加したが、どの出撃のときにも、ラバウルの戦闘指揮所の前には、連合艦隊司令長官・山本五十六大将の白い夏装の軍服姿が見られた。
私は戦闘機隊なるが故に、最初に離陸し、飛行場上空で後続の攻撃隊を待つ間、砂煙の立ちこめる離陸線の付近に立たれ、最後の最後まで軍帽を振っておられる白い軍服姿が、上空からよく見えた。
この長官が、その四、五日後に戦死される運命を背負っておられるとは、誰が想像したであろうか。
山本長官戦死の前日、昭和十八年四月十七日、「い」号作戦は終了し、われわれ母艦航空隊は、ラバウルを八時発進、十二時に全機トラック島に引き揚げたのである。

「い」号作戦、昭和十八年四月十二日、

一式陸攻四十三機を戦闘機百二十四機が掩護し、ポートモレスビーを目指して一路進撃が開始された。
陸攻隊は左に九◯度変針して爆撃進路に入った。前下方に飛行場が見える。
そのうちに、ものすごい対空砲火が、われわれをすっぽり包んでしまった。
しかし、陸攻隊はこの無数の黒煙のなかを、整然たる隊形で微動だにせず進んでいく。われわれはその六◯◯メートル上空を、陸攻隊をかばうようにして進んだ。
やがて爆弾が一斉に投下された。その瞬間、右側にいた一式陸攻一機がエンジンから黒煙を吐き出した。黒煙はますます長く太くなっていく。対空砲火にやられたのだ。しだいに戦列から離れ、右方へ降下しながら、海岸に碇泊中の艦船を狙っているように身受けられる。生きることを断念し、体当たりを決意したのだろう。悲愴感が背筋を走る。

第二群と第三群が上方から攻撃を

かけてきたならば、目前の敵第一群を棄てて、新たな敵に向かって、下から突き上げていかなければいけない。敵はたとえ優位であっても、下からまっしぐらに頭をもたげて反撃してくる戦闘機はやはりこわい。敵の射弾は、いちばん先頭に立って反撃するこの機に集中して危険ではあるが、しかしこれを敢行しなければ味方がやられてしまう。
またこのとき、まともに撃ち合ってはいけない。撃ち合うようなマネをしながら、敵機の射弾をそらしつつ、優位に立つべく、じわじわと逆転のチャンスを狙うのである。急上昇反転を二回もやると、若い列機も気がついて、新しい敵にかかっていく。

2014年8月10日日曜日

列機B-17に体当たり

「い」号作戦、 昭和十八年三月三日、瑞鳳戦闘機隊はニューギニアのラエへ向かう輸送船団の上空哨戒のためカビエンを発進。
私(岩井 勉)の列機の牧正直飛長は、このときB-17に体当たりを敢行し、双方の機体が二つに折れ、卍巴(まんじどもえ)になって落下していった。
要塞と敵の誇れしボーイング、
墜とすは誰ぞ、あゝ体当り
牧飛長は後日、二階級特進の栄に浴し、その武勲は全軍に布告された。