太平洋戦争研究会
~太平洋戦争の真実を追う~
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2014年8月11日月曜日
私(岩井 勉)は「い」号作戦に
全部参加したが、どの出撃のときにも、ラバウルの戦闘指揮所の前には、連合艦隊司令長官・山本五十六大将の白い夏装の軍服姿が見られた。
私は戦闘機隊なるが故に、最初に離陸し、飛行場上空で後続の攻撃隊を待つ間、砂煙の立ちこめる離陸線の付近に立たれ、最後の最後まで軍帽を振っておられる白い軍服姿が、上空からよく見えた。
この長官が、その四、五日後に戦死される運命を背負っておられるとは、誰が想像したであろうか。
山本長官戦死の前日、昭和十八年四月十七日、「い」号作戦は終了し、われわれ母艦航空隊は、ラバウルを八時発進、十二時に全機トラック島に引き揚げたのである。
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