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2016年11月5日土曜日

無事ソロモン水道の中央を抜けるのには何度にしたら良いか、

通い慣れたガダル街道の地図は頭の中に焼き付いている。計算は小学生でも分かる勘定だが、今、視界三十メートル以内、高度三メートルを飛びながら考えたのでは、いくら泣きたくなるほど考えても安全な針路は出てこない。出るのは油汗ばかり、よし、右旋回百八十度。意を決し、バンクをとらずに足だけで少しずつ、少しずつ旋回しようとした。
旋回計の球が中心の目盛りよりちょっと左から外れたと思った瞬間、ただでさえ固くなってピタリと翼を重ねて飛んでいた若杉飛長があわてて離れた。二メートル、三メートル、これはまずいと思って足を戻しながら、ちらっと視線を走らせた時、私の視界のはじで、若杉機は、機首を海面に逆さにつきさし、胴体は座席の後方から真っ二つに折れ、折れた尾部は上空の雲の中に跳ね飛んで見えなくなった!私の航法に間違いがなければ場所はコロンバンガラ島の東南十キロメートルと思われた。
無我の境地で飛ぶこと三十分余りで元のイサベル島南端に出る。高度を上げつつ、初めてどっと涙がでる。胸が痛いほど引き締められる。
若い情熱を戦闘機乗りとしてこの南海の果てまで来ながら、敵との空中戦で敗れたならばやむを得ないが、私ごとき者を指揮官と思えばこそ最後まで頼り切ってついて来たのに……。
……
辛い想い出である。
五八二空戦闘行動調書には、この日の記録がまったく無い。ただ、厚生省にある戦死者名簿に、若杉育造飛長は昭和十七年十一月十三日、コロンバンガラ島上空に於て敵機と交戦戦死と記入されているのみである。
『修羅の翼』


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