ラバウル東飛行場に帰着するや、いつもの場所で待ちかねていた宮野大尉が、つかつかと近づいてきて、まるで森崎中尉を拉致していくかのように、戦闘指揮所のほうへ伴っていった。
『六機の護衛戦闘機』
2018年10月1日月曜日
2017年8月31日木曜日
2016年12月3日土曜日
堀(悌吉)少将を無二の親友と敬愛
していた山本五十六は、のちに(海軍記者)伊藤正徳にむかって、「堀を(予備役編入にして)失ったのと、大巡(重巡)一割とどちらかナ。ともかくあれは海軍の大馬鹿人事だ」と切言したという。
『真珠湾攻撃作戦』
山本五十六の海軍兵学校同期生(32期)堀悌吉
『真珠湾攻撃作戦』
山本五十六の海軍兵学校同期生(32期)堀悌吉
2013年11月9日土曜日
「長官一行の陸攻二機、
午前七時四十分ごろ、P38十数機と交戦、二番機はモイラ岬海上に不時着、参謀長、艦隊主計長(いずれも負傷)、操縦員一名救出、一番機はブイン西方約十一マイルの密林中に火を噴きつつ浅き角度にて突入せるものの如く捜索手配中」
2013年11月4日月曜日
近藤泰一郎は、「死ぬ気で、
――少なくとも死んでもいいという気持で出て行かれたと思いますね。陸軍で言えば敵の歩兵の鉄砲玉がポンポン飛んで来るようなところへ、わざと出て行ったんですから」
と言っている。
と言っている。
高木惣吉は、「山本さんのあと
聯合艦隊の指揮をとれる人は、山口(多聞)さんか小沢(治三郎)さんしかいないが、山口さんは先にミッドウェーで亡くなったし、海軍の機構は今もって年功序列の金しばりで、これはもうおしまいだ」
と、はっきり思ったそうである。
と、はっきり思ったそうである。
2013年11月3日日曜日
実をいうと、山本の方は、辻政信を
あまり信用していなかった。辻が、戦況が思わしくなくなると、中央連絡などと称して逃げ出してはスタンド・プレイをやっているのを、苦々しげに、
「あんな者をのさばらせておくから駄目なんだ」
と言っていたことがあるそうである。
「あんな者をのさばらせておくから駄目なんだ」
と言っていたことがあるそうである。
笹川良一は、日本の右翼の中で
たった一人親英米の腰抜けとされていた山本をかばった人であった。山本の紹介状をもらって中国へ出かけた折、笹川は南京で、総軍の参謀をしていた辻政信に威勢のいい話を聞かされたことがあった。辻が、汪政権の顧問役の、のちの大東亜大臣青木一男と口論になり、ぐずぐず言ったらぶった切ると軍刀をがちゃつかせたら、青木が青くなって逃げて行った、弱い奴だと、辻が笑っていたという話である。
「それで、その時青木は、武器は何を持っとったんや?」
と笹川は聞いた。
「で、青木が丸腰で、あんたの方は、何を持ってた?」
「軍刀とピストル持ってる人間が、丸腰の人間脅したら、相手が青うなって逃げて行くのはあたり前で、そりゃ、あんたの方がよっぽど弱虫やないか」
と彼は辻に言った。
山本は笹川が笹川流の一種の是々非々で、誰にでもこういう風に思ったことを言う点、それから、航空に強い関心を持っている点を買っていたらしい。
「それで、その時青木は、武器は何を持っとったんや?」
と笹川は聞いた。
「で、青木が丸腰で、あんたの方は、何を持ってた?」
「軍刀とピストル持ってる人間が、丸腰の人間脅したら、相手が青うなって逃げて行くのはあたり前で、そりゃ、あんたの方がよっぽど弱虫やないか」
と彼は辻に言った。
山本は笹川が笹川流の一種の是々非々で、誰にでもこういう風に思ったことを言う点、それから、航空に強い関心を持っている点を買っていたらしい。
2013年11月2日土曜日
南雲部隊が帰途についたことを知った「長門」の
司令部では…
幕僚たちはほとんど全員一致で、再攻撃の提案をすることになった。
山本はこれに対し、
「いや、待て。むろんそれをやれば満点だが、泥棒だって帰りはこわいんだ。ここは機動部隊指揮官に委せておこう」
と言い、
「やる者は言われなくたってやるサ。やらない者は遠くから尻を叩いたってやりゃしない。南雲はやらないだろ」
と言ったと伝えられている。
幕僚たちはほとんど全員一致で、再攻撃の提案をすることになった。
山本はこれに対し、
「いや、待て。むろんそれをやれば満点だが、泥棒だって帰りはこわいんだ。ここは機動部隊指揮官に委せておこう」
と言い、
「やる者は言われなくたってやるサ。やらない者は遠くから尻を叩いたってやりゃしない。南雲はやらないだろ」
と言ったと伝えられている。
2013年11月1日金曜日
二・二六事件以後、日本が戦争に向って
歩を進めた過程の中で、海が不意に深くなるように、戦争への傾斜が段を成して急に深まった場面が幾つか数えられるが、南部仏印進駐は、その大きなステップの一つであった。
山本は最初に、井上航空本部長に向って、
「井上君、航空軍備はどうなんだ?」
と聞いた。
井上は、
「あなたが次官の時から、一つも進んでおりません。そこへこの度の進駐で、大量の熟練工が召集され、お話にならない状態です」
と答えた。
山本は最初に、井上航空本部長に向って、
「井上君、航空軍備はどうなんだ?」
と聞いた。
井上は、
「あなたが次官の時から、一つも進んでおりません。そこへこの度の進駐で、大量の熟練工が召集され、お話にならない状態です」
と答えた。
2013年10月28日月曜日
昭和十六年秋までにもし山本の
中央復帰が実現していたら、十二月の開戦は、少なくとも先へ延ばされ、山本が腰抜けとか親英米とか言われて時を稼いでいるうちに、ドイツの頽勢がはっきりして来、日本は世界動乱に処して、おそらくもっと有利な道をたどり得ただろう…
山本(五十六)が、
「永野さんは、天才でもないのに自分で天才だと思っている人だから、一般には受けるだろ」
と言ったのは、この時のことである。
井上成美は、この前年(昭和十五年)、沢本頼雄の次官着任まで、短期間海軍次官代理を勤めたことがあり、大臣の及川古志郎から、
「おい、宮様が総長辞めたいと言われるんだが、どうしよう」
と相談を持ちかけられて、
「辞めてもらったらいいじゃないですか。大体宮様というのはよほどの事がないかぎり、下の者の持って来る案にノーとは言わないようなしつけを受けておられる。この非常の時にそれではなりません。辞めて頂くのが海軍のためでもあり宮様のためでもあります」
と答え、あとを先任順で永野修身にという話には、
「しかし、永野さん不可なかったら、二、三ヶ月ですぐ首にすることですよ」
と進言している。
と言ったのは、この時のことである。
井上成美は、この前年(昭和十五年)、沢本頼雄の次官着任まで、短期間海軍次官代理を勤めたことがあり、大臣の及川古志郎から、
「おい、宮様が総長辞めたいと言われるんだが、どうしよう」
と相談を持ちかけられて、
「辞めてもらったらいいじゃないですか。大体宮様というのはよほどの事がないかぎり、下の者の持って来る案にノーとは言わないようなしつけを受けておられる。この非常の時にそれではなりません。辞めて頂くのが海軍のためでもあり宮様のためでもあります」
と答え、あとを先任順で永野修身にという話には、
「しかし、永野さん不可なかったら、二、三ヶ月ですぐ首にすることですよ」
と進言している。
2013年10月20日日曜日
井上(成美)が大佐で軍務局第一課長の時、
軍令部長から、軍令部令及び省部互渉規程改正の案が出された事があった。
その内容を簡単に言えば、軍令部の権限を陸軍の参謀本部なみにうんと拡充して、あれも軍令部によこせ、これも軍令部によこせという、海軍大臣に反旗を飜すようなものであった。
時の軍令部長は伏見宮博恭王で、軍令部次長が高橋三吉中将であったが、この要求は、艦隊派の黒幕、加藤寛治大将が、高橋と気脈を通じて、伏見宮を焚きつけて持出したものだと言われている。
井上は、あらゆる資料を集め、海軍の統制保持上かような改正案は認められないと、理路整然とした反対意見をまとめ上げて、強硬にこれに反対した。論理的には井上の所論に逆らう事が出来ないので、軍令部の南雲忠一など、伏見宮邸で園遊会が催された時、酒気を帯びて井上のそばに来、
「井上の馬鹿!貴様なんか殺すのは、何でもないんだぞ。短刀で脇腹をざくッとやれば、貴様なんかそれっきりだ」
と脅迫したりした。
南雲忠一と山本五十六とは、深い相互信頼の上に立ってのちにあの、真珠湾の奇襲を敢行したように一般には思われているかも知れないが、加藤友三郎、山梨、米内、井上の線上に在る山本と、加藤寛治、末次信正に近いすじの南雲とは、立場も考え方も全くちがう提督であった。
その内容を簡単に言えば、軍令部の権限を陸軍の参謀本部なみにうんと拡充して、あれも軍令部によこせ、これも軍令部によこせという、海軍大臣に反旗を飜すようなものであった。
時の軍令部長は伏見宮博恭王で、軍令部次長が高橋三吉中将であったが、この要求は、艦隊派の黒幕、加藤寛治大将が、高橋と気脈を通じて、伏見宮を焚きつけて持出したものだと言われている。
井上は、あらゆる資料を集め、海軍の統制保持上かような改正案は認められないと、理路整然とした反対意見をまとめ上げて、強硬にこれに反対した。論理的には井上の所論に逆らう事が出来ないので、軍令部の南雲忠一など、伏見宮邸で園遊会が催された時、酒気を帯びて井上のそばに来、
「井上の馬鹿!貴様なんか殺すのは、何でもないんだぞ。短刀で脇腹をざくッとやれば、貴様なんかそれっきりだ」
と脅迫したりした。
南雲忠一と山本五十六とは、深い相互信頼の上に立ってのちにあの、真珠湾の奇襲を敢行したように一般には思われているかも知れないが、加藤友三郎、山梨、米内、井上の線上に在る山本と、加藤寛治、末次信正に近いすじの南雲とは、立場も考え方も全くちがう提督であった。
高木惣吉の本には、次官時代の山本が、
同じく陸軍次官をしていた東條英機を揶揄した話が書いてある。
東條はその当時から能弁で、何にでも一家言を立てたい方であったらしく、ある日の次官会議で、談たまたま航空の事に及ぶと、滔々と陸軍新鋭機の性能を述べ立てて列席の一同を煙にまいた。東條の話を、一段落すむまで黙って聞いていた山本は、不意に、
「ホホウ。えらいね。君のとこの飛行機も、飛んだか。それはえらい」
と、にこりともせずに言った。「海の荒鷲陸のにわとり」というのは、必ずしも海軍軍人の自慢とばかり言えないところがあって、笑わないのは山本と東條だけで、各省次官連は爆笑したそうである。
東條はその当時から能弁で、何にでも一家言を立てたい方であったらしく、ある日の次官会議で、談たまたま航空の事に及ぶと、滔々と陸軍新鋭機の性能を述べ立てて列席の一同を煙にまいた。東條の話を、一段落すむまで黙って聞いていた山本は、不意に、
「ホホウ。えらいね。君のとこの飛行機も、飛んだか。それはえらい」
と、にこりともせずに言った。「海の荒鷲陸のにわとり」というのは、必ずしも海軍軍人の自慢とばかり言えないところがあって、笑わないのは山本と東條だけで、各省次官連は爆笑したそうである。
「海軍の作戦というのは、
一つの島を取ったら、その島に一週間以内くらいに手早く飛行場を完成して、航空隊を前進させ、それで次の海域の制空権制海権を握るという風に、今後はなって行くと思うが、今の日本の工業力で、そんな事が出来ると思うかね?」
とも言った。
これは、戦争中、ガダルカナル以後反撃に転じた米軍が、日本進攻に用いた正にその方法であった。
とも言った。
これは、戦争中、ガダルカナル以後反撃に転じた米軍が、日本進攻に用いた正にその方法であった。
山本が聯合艦隊の長官になり、
松元が読売をやめてからのことであるが、彼は、空襲の悲惨についても山本から話を聞かされた。
「日本の都市は、木と紙で出来た燃えやすい都市だからね。陸軍が強がりを言っているけど、戦争になって大規模の空襲をうけたら、とても生易しい事じゃすみやしない。海軍の飛行機が海に落ちて、水の上にガソリンが燃え広がって火の海になるところを見ると、あれは地獄だよ。水の上でも、君、それだよ」
と、山本は心をこめた口調で話したという。
「日本の都市は、木と紙で出来た燃えやすい都市だからね。陸軍が強がりを言っているけど、戦争になって大規模の空襲をうけたら、とても生易しい事じゃすみやしない。海軍の飛行機が海に落ちて、水の上にガソリンが燃え広がって火の海になるところを見ると、あれは地獄だよ。水の上でも、君、それだよ」
と、山本は心をこめた口調で話したという。
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