阿南(惟幾)よりもはるかに「責任観念」を明確にしなければならない指導者がいたが、杉山は敗戦からほぼ一ヵ月もたった九月十二日に拳銃で自殺。東條はその前日(十一日)、逮捕にやってきた米軍MPの前で拳銃自殺に失敗している。彼らの自決は戦犯として逮捕されることへの恐れからであり、何かに殉じたわけではない。
『官僚亡国 軍部と霞が関エリート、失敗の本質』
2017年9月2日土曜日
(集めた中堅幕僚に対し)「陛下はこの阿南(惟幾)に対し、
お前の気持ちはよくわかる。苦しかろうが我慢してくれと涙を流して申された。自分としてはもはやこれ以上、反対を申し上げることはできなかった」
と伝えた。そして、
「不満に思う者は、まず阿南を斬れ」
と、付け加えた。この言によって、ポツダム宣言受諾、すなわち敗戦を受け入れることが陸軍内部の大勢となった。
『官僚亡国 軍部と霞が関エリート、失敗の本質』
と伝えた。そして、
「不満に思う者は、まず阿南を斬れ」
と、付け加えた。この言によって、ポツダム宣言受諾、すなわち敗戦を受け入れることが陸軍内部の大勢となった。
『官僚亡国 軍部と霞が関エリート、失敗の本質』
(昭和二十(一九四五)年)八月十四日午後、
鈴木貫太郎首相の下で最終的に終戦の決定が閣議決定された。阿南(惟幾)は静かに署名し、花押を認(したた)めた。しかし詔書案の文案にある「戦勢日に非なり」という字句を「戦局必ずしも好転せず」と訂正するよう主張している。これに対して海軍大臣の米内光政が強硬に反対して論争が起こったが、鈴木首相の判断で阿南の案が通った。
『官僚亡国 軍部と霞が関エリート、失敗の本質』
陸軍大臣 阿南惟幾大将
『官僚亡国 軍部と霞が関エリート、失敗の本質』
陸軍大臣 阿南惟幾大将
こうした一家的な結びつきにもとづく同質な人間が集まった組織は
きわめて危険だ。太平洋戦争が始まる頃、陸軍省軍務課長の地位にあった佐藤賢了は東條(英機)のマグの一人だった。
「兵隊がガムをかんでいたり、上官に口答えしたりしているアメリカ陸軍は軍隊の体をなしていない。皇国精神にあふれているわが皇軍とは、その精神力で比較にならない」
こんな雑駁(ざつぱく)な佐藤のアメリカ観を鵜呑みにして、東條は戦争に踏み切ったのである。もう一人のマグで、東條の下で陸軍次官を務め、「東條の腰巾着」と言われた富永恭次は、部下に特攻を命じておきながら、自分はフィリピンから敵前逃亡している。
軍官僚は権力を私物化して、気に入らない人物は懲罰的に前線へ送りこみ、自分たちに連なる人脈は決して激戦地には送らなかった。
『官僚亡国 軍部と霞が関エリート、失敗の本質』
「兵隊がガムをかんでいたり、上官に口答えしたりしているアメリカ陸軍は軍隊の体をなしていない。皇国精神にあふれているわが皇軍とは、その精神力で比較にならない」
こんな雑駁(ざつぱく)な佐藤のアメリカ観を鵜呑みにして、東條は戦争に踏み切ったのである。もう一人のマグで、東條の下で陸軍次官を務め、「東條の腰巾着」と言われた富永恭次は、部下に特攻を命じておきながら、自分はフィリピンから敵前逃亡している。
軍官僚は権力を私物化して、気に入らない人物は懲罰的に前線へ送りこみ、自分たちに連なる人脈は決して激戦地には送らなかった。
『官僚亡国 軍部と霞が関エリート、失敗の本質』
陸軍大学校の定員は約五十名である。
教官は佐官クラスの将校で、学生は二十代後半から三十代初めの尉官だ。密度の濃い人間関係だけに、自分の教官がその後昇進していけば、自分もそれに連なっていける。そのために教官へ接近していった学生もいた。一方で教官の方でも、自分の娘を将来性のある青年軍人に勧めるというケースが少なくなかった。
このように互いに計算ずくで接近する関係を、旧軍では「納豆」(ねばねばしているの意)とか「マグ」(マグネット=磁石の意)と称したが、こうした関係を露骨に重視したのが東條(英機)であった。陸大受験を狙う部下にきめ細かな配慮をする一方で、陸軍大臣に就任すると人事権を恣意的に行使して、自分の息のかかった人間だけしか要職に就けなかった。
『官僚亡国 軍部と霞が関エリート、失敗の本質』
このように互いに計算ずくで接近する関係を、旧軍では「納豆」(ねばねばしているの意)とか「マグ」(マグネット=磁石の意)と称したが、こうした関係を露骨に重視したのが東條(英機)であった。陸大受験を狙う部下にきめ細かな配慮をする一方で、陸軍大臣に就任すると人事権を恣意的に行使して、自分の息のかかった人間だけしか要職に就けなかった。
『官僚亡国 軍部と霞が関エリート、失敗の本質』
2017年9月1日金曜日
(昭和)天皇自身は、終戦直後の四五年(昭和二十年)九月二十七日、
マッカーサーとの会見で「私は全責任をとる」と発言した。その一方で、当時の状況として開戦を拒否することは困難であったとの認識も示した。
「国内は必ず大内乱となり、私の信頼する周囲の者は殺され、私の生命も保証出来ない、それは良いとしても結局狂暴な戦争が展開され、今次の戦争に数倍する悲惨事が行われ、果ては終戦も出来兼ねる始末となり、日本は亡びる事になったであろうと思う」(『昭和天皇独白録』)
『検証 戦争責任』
「国内は必ず大内乱となり、私の信頼する周囲の者は殺され、私の生命も保証出来ない、それは良いとしても結局狂暴な戦争が展開され、今次の戦争に数倍する悲惨事が行われ、果ては終戦も出来兼ねる始末となり、日本は亡びる事になったであろうと思う」(『昭和天皇独白録』)
『検証 戦争責任』
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