教官は佐官クラスの将校で、学生は二十代後半から三十代初めの尉官だ。密度の濃い人間関係だけに、自分の教官がその後昇進していけば、自分もそれに連なっていける。そのために教官へ接近していった学生もいた。一方で教官の方でも、自分の娘を将来性のある青年軍人に勧めるというケースが少なくなかった。
このように互いに計算ずくで接近する関係を、旧軍では「納豆」(ねばねばしているの意)とか「マグ」(マグネット=磁石の意)と称したが、こうした関係を露骨に重視したのが東條(英機)であった。陸大受験を狙う部下にきめ細かな配慮をする一方で、陸軍大臣に就任すると人事権を恣意的に行使して、自分の息のかかった人間だけしか要職に就けなかった。
『官僚亡国 軍部と霞が関エリート、失敗の本質』
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