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2013年9月29日日曜日

満州事変

九月十九日午前一時過ぎ、関東軍は主力の奉天集中と、満鉄沿線の要地攻略・占領の命令を発し、軍司令部を奉天に進出させた。さらに、朝鮮軍に増援を要請した。朝鮮軍の増援は、本国の政府と天皇の反対によりストップがかけられたが、これに対して関東軍は再び謀略によって吉林に不穏な状態をつくり出し、居留民保護を名目として吉林に出兵した。吉林出兵によって満州南部が手薄となり、その危急を救うために朝鮮軍の増援を必要とさせたのである。
こうして二十一日午後、朝鮮軍は天皇の裁可も得ぬまま独断で越境したが、ついに政府も軍中央もこれを追認してしまった。
柳条湖事件は石原らの目論見どおり拡大し、満州事変となったのである。

独断で朝鮮軍を出動させ、「越境将軍」と呼ばれた林銑十郎

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