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2013年9月23日月曜日

女交換手真岡に散る

終戦の年の八月二十日、樺太の真岡郵便局で、押し寄せるソ連兵を前に、職務を遂行して散った九人の電話交換手の悲劇…
八月二十日の攻撃においては、日本軍の迎撃は、瞬時のうちに沈黙してしまった。あとは、無残な邦人虐殺が展開されていった。武器を持たない邦人は、ただ逃げるしかなかった。ソ連兵は、彼らの背へ、情け容赦なく、自動小銃の弾丸を食い込ませた。防空壕でふるえている者には、手榴弾が投げ込まれた。

九人の最期
「ソ連の兵隊が、続々と、こちらに上がって来ています。もう、みんな、交換台で倒れています。私も、だんだん目がみえなくなってきました。ながい間、お世話になりました。さようなら」
しっかり者だった伊藤千枝は、隣の泊居の局に、真岡の惨状を報告したあと、こういって通話を切ったという。
青酸カリによる自決であった。

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