ページ

2013年12月22日日曜日

連合艦隊戦訓18 ― 海戦と隊形

昭和十七年十一月十二日の夜半のことである。ガダルカナル島のヘンダーソン飛行場を、二隻の高速戦艦(比叡、霧島)が三六センチ主砲で艦砲射撃をしようとした直前、ルンガ沖で米艦隊(巡洋艦五隻、駆逐艦八隻)と不時会敵、乱戦乱撃の遭遇戦となったのが、第三次ソロモン海戦の第一夜戦である。
この海戦での問題点は、このような不時会敵をやすやすと招来したことである。その原因は、警戒隊の第四水雷戦隊中、「夕立」「春雨」が本隊のわずか三キロ前方を先行していたにすぎず、「朝雲」「村雨」「五月雨」に到っては本体より後落していたこと、更にはスコールによる悪天候のために、好機を待つため一時反転したが、その後の隊形の乱れを司令部がまったく気づいていなかったことである。

この日の早朝、ガダルカナル島にいる海軍部隊から、次の情報が寄せられていた。
「〇三四〇、敵兵力は輸送船五、軽巡三、重巡二、駆逐艦一一よりなる、輸送船は荷役を開始せり」
日没ころ、「比叡」から発進した零式観測機の偵察によれば、ルンガ泊地に敵艦船十数隻が在泊していることを伝えていた。
またガダルカナル島の海軍部隊から、
「敵は一七〇〇ころまで荷役を実施す、以後、視界狭小となり状況不明」
との連絡が入った。この敵情報告は、明らかに敵水上艦艇が待ちかまえていることを予測するに十分なものである。

挺身攻撃隊は午後十一時三十分、射撃準備を下令、飛行場までの距離二万メートルで測的を開始。
「砲撃目標、敵飛行場」
と、下命した直後である。十一時四十二分、突然、前路掃討中の「夕立」から、
「ルンガ岬方向に敵艦影七隻見ゆ、距離六〇〇〇メートル」
と報じた。ついでこの一分後、「比叡」も、約九キロ前方に敵巡洋艦らしい艦影四隻を認めたのである。
突然の会敵に、阿部弘毅中将指揮下の挺身攻撃隊も極度に混乱を呈した。
この状況の中で、一時五十分、「比叡」はとつじょとして、右舷側に黒い艦影が近づいてくるのを発見した。間、髪をいれず、阿部中将は命令した。
「右舷艦影に照射はじめ!」
「比叡」から、さっと一条の探照燈の光束が闇を切って走った。その光芒の中に、大型巡洋艦が幻燈のように浮かび上がった。巡洋艦列の一番艦「アトランタ」である。距離はおよそ一五〇〇メートル。
「撃てッ!」
号令一下、「比叡」の三六センチ主砲が砲身を水平にして火を吐いた。初弾命中。
強靭な燃焼力をもつ三式弾が、「アトランタ」の艦橋に炸裂した。つづいて巨砲のつるべ撃ち。しかし探照燈の照射で「比叡」の目標がはっきりしたため、他の米艦の砲火がいっせいに「比叡」に集中した。

米軍損害、沈没=駆逐艦四、軽巡一。大破=重巡二、軽巡一(のち沈没)、駆逐艦一。中小破=駆逐艦二、軽巡一。
日本軍損害、沈没=「暁」「夕立」の二駆逐艦。中破=「天津風」「雷」。八〇発以上の命中弾を受けて大破していた「比叡」は、翌十三日午前五時三十分より始まった、敵雷爆撃機の反復攻撃により、同午後四時、ついにキングストン弁を開き自沈。

第三次ソロモン海戦の前半戦は、日本艦隊の勝利となった。しかし敗れたとはいえ、米艦隊が、飛行場砲撃の阻止に成功したことは事実である。

戦訓。
一、スコール下では盲目状態になるので、艦隊運動には、よくよくの注意が肝要。
二、敵存在の情報がある以上、たとえその情報に疑念があったとしても、まず第一にこれに備えておくことが先決。



空襲を受ける戦艦「比叡」

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。