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2014年8月17日日曜日

「昭和十七年秋、私たちがブインに進出した頃は、

まだ敵の戦闘機に対し、十分な自信と実績を持っていた。たとえば、二十機対二十機なら必ず勝てる。味方が六割ぐらいの場合なら互角の勝負、というのが、当時の私たちの自信であり、目安であった」(小福田少佐)
ガ島航空撃滅戦は、まさに航空消耗戦であった。疲労と消耗は、熟練搭乗員の相次ぐ戦死と交代要員の未熟、それによる全体の戦力低下の悪循環を呼んでいた。零戦の生産量と搭乗員の養成は、この消耗戦にまったく追いついていなかった。搭乗員の交代はおろか、休養すら与えられない。ソロモンは搭乗員の墓場となりつつあった。

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