戦闘後、塹壕と掩蔽部から、六〇〇以上の日本軍将兵の屍体が引きずり出された(シーシキン他(田中克彦編訳『ノモンハンの戦い』)
ソ連側は、これでフイ高地は一人残さずかたづけたと信じていて、陣地に占領を示す赤旗を立てたし、日本側も全滅したものと考えた。
ところが壕の中には、まだ一二九人の兵が、水も糧食もないまま生きていた。井置支隊長は通信機も破壊され、連絡もとれず、(八月)二五日未明、ソ連軍が立ち去った後、自らの判断で、高地を脱出して本隊に到着した。その脱出がいかに成功裡に行われたかは、「一人のぎせい者も出さなかった」という事実に現れている。しかしこれは命令によらない無断撤退であると罪を問われ、停戦協定後の九月一六日、ピストルを渡されて自決を強要された。命令に反して撤退したという理由で、靖国神社にまつられることも許されなかった。それが許されたのは戦後になってからであると伝えられる。
『ノモンハン戦争 モンゴルと満洲国』
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