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2018年5月6日日曜日

真崎に無罪の判決がだされたのは

昭和十二年九月十五日である。この判決文を陸軍大臣の杉山元は天皇に届けている。
(中略)
このへんに東京軍法会議の限界と、破滅戦争に向かう足音が聞える。だが、「真崎無罪」判決文に対し一言の不満も洩らせずに謄写を手もとに保存する天皇の姿に、天皇の権限をも無力化している天皇制の本質がある。
ともあれ、「二・二六事件」はこうして終った。そしてこの頃、二・二六の初年兵たちは、歩一歩三の二年兵として応急派兵され、北支の戦線でたたかっていた。もと安藤(輝三)隊だった歩三第六中隊など、この戦闘でほとんど全滅したという。
『松本清張と昭和史』

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