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2013年11月3日日曜日

戦訓15 ― 欠けていた空母の防御法

「空母は卵を入れた籠のようなもので、一発の爆弾があたれば、搭載機はつぎつぎに誘爆を起こして、結局ぜんぶ破壊されてしまう」
ところが、ミッドウェー海戦で、日本海軍にはその防御システムが皆無に近い状態であったことに初めて気づいたのであった。
空母を防御する対策としては、レーダーの開発、見張り機関の強化、上空警戒機の性能や機数、直衛艦の数、対空砲火の精度やその数など、これらを一元的に統制する指揮機関と通信施設が要求されるのだが、そのほとんどが、日本海軍には欠けていたし不十分であった。

防空戦闘のさい、無線電話は装備しているものの、雑音がひどくてほとんど実用にならなかった。
ミッドウェー海戦での南雲部隊は、まだレーダーを装備していなかった。
当時の一航艦の兵力は空母四隻を中心に戦艦二隻、重巡二隻、軽巡一隻、駆逐艦十二隻である。空母の直衛を考えると、来襲敵機を一刻も早く発見するために、十分遠方に警戒艦を派出することはできなかった。
各空母がもっている戦闘機は一八機ずつである。このうち半数は第一次攻撃隊で出撃し、残りの半数は第二次攻撃隊用である。その中から三機だけ割愛して上空警戒にあげていた(合計一二機)という情況なので、十分な見張りはできなかった。
そこへ敵機が来た。上空警戒機だけでは足りないので、残りの戦闘機も全機が飛び上がって防空戦を展開した。このため、各空母とも飛行甲板を上空警戒機の発着に専用される結果となり、その後の攻撃準備に大きな支障をあたえたのである。

ミッドウェー海戦によって、日本軍は初めて空母部隊の運用法を学んだのであったが、時すでに遅かった、といえよう。

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