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2013年11月2日土曜日

日本軍隊用語集 ― 元帥(共)

元帥(げんすい)

この帥の字は、師団・師弟・師範などのツクリが一本多い師の字とよくまちがえられ、師は常用漢字にあるが、ほとんど使われない帥のほうは入っていない。
辞典によると、帥とは①ひきいる、②したがう、と正反対の二つの意味をもつ妙な字で、将帥(将軍)、帥先(みちびく)などとともに高級軍人を表わす語群である。

一八九八(明治三一)年一月、明治天皇は「元帥府設置の勅語」を下し、”特ニ元帥府ヲ設ケ陸海軍大将ノ中ニテ老巧卓抜ナル者ヲ簡選シ朕ガ軍務ノ顧問タラシメ”と定めた。選ばれた大将が天皇側近のこのグループに入ることが、”元帥府ニ列セシメ”となる。
これによれば最高軍事顧問官なのだが、一般の政治・行政については元首相や元議長からなる「枢密院顧問官」があり、軍事についても元陸海軍大臣や参謀総長・軍令部総長などの将官からなる「軍事参議官」というのがあったから、この元帥府は意地悪くいえば、功績のある老陸海軍大将の名誉ある隠居所のようなものであろう。

中将までは定年制があり、これに達すると退役や予備役に回されるが、大将は生涯死ぬまで現役で、大将の一つ上級の元帥も現役となる。
明治憲法によれば全軍の最高指揮官は天皇その人であったから、天皇は大将でも元帥でもなく大元帥であり、大元帥陛下がその代名詞でもあった。

日本では名誉階位であったから、日露戦争後の論功行賞で手柄を決めたときに、陸軍の大山総司令官、黒木第一軍司令官、奥第二軍司令官、野津第四軍司令官、海軍の東郷連合艦隊司令長官が元帥に昇進した。
この中で一人、第三軍司令官の乃木大将だけが旅順攻撃の損害があまりに多かったためにその選にもれた。後日、乃木大将は明治天皇のあとを追って自刃したが、選にもれた口惜しさもその一因であったとする俗説もある。

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