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2015年2月26日木曜日

特攻隊として公式に認められなかった中津留隊の隊員は、

死後二階級特進が許されず一般戦死者並みに一階級しか上らなかった。宇垣中将に至っては一階級も上らなかった。連合軍への配慮があったといわれる。

宇垣の突入死から六時間後、特攻隊の創設者といわれる大西瀧治郎中将もまた、海軍軍令部次長の官舎で自刃して果てた。

大西や陸軍大将阿南惟幾の自刃(八月十五日未明)と較べて、十七名もの兵達を死の道連れにした宇垣の自裁行為は、後世に批判を残すことになった。
同『私兵特攻』

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