ページ

2016年9月25日日曜日

海軍の人々のなかでも、とくに搭乗員は、

軍人としての上下の階級よりも、上に立つ人間の技量、識見、上官としていかに部下から信頼をうけることができるかどうかの人間関係の良し悪しが、組織を維持してゆく面に強くはたらく。
『雷撃のつばさ』

2016年9月24日土曜日

「本当に数多くの優秀な人を死なせてしまった。

申し訳ないと思っている。それを思うと、周囲の情勢がガラリと変わったからといって、自己の主義主張を変えて平気な連中の多いことを、わしは心から残念に思うのだが……」(小沢治三郎氏)
『完本・列伝 太平洋戦争』


飛行甲板の前方、三分の一ぐらいは吹きとんで

大きな口をあけ、艦橋のまえには吹きとんだ昇降機が屏風のように突き立っていた。(元空母「飛龍」砲術士・右舷高角砲指揮官・海軍少尉 長友安邦氏)
『証言・ミッドウェー海戦』

2016年9月23日金曜日

「燃料アト五分母艦ノ位置知ラセ、探照灯ヲ点ゼラレタシ」

「探照灯点ジアリ」
という電文が、交互に乱打されていた。
闇に機位をみうしなった「隼鷹」の未帰還機が必死になって母艦に呼びかけをおこない、「隼鷹」がそれに応えているのであった。
なお「摩耶」の暗号室である。
闇に巨体を伏せた母艦が打つ「探照灯点ジアリ」という電文が聞こえている。
が、その後も、しばらく未帰還機は、
「探照灯見エズ」
をおくりつづけた。
母艦は、明かりをつけていなかった。原則として、敵潜水艦が潜伏していると予想される海上で明かりをともすことはきびしく禁じられていた。たぶん、未帰還機の搭乗員も、そのことを知っているだろう。承知していながら、なおも助けを求めているのである。明かりが見えない、という悲痛な電文をなんどとなく打ちつづけたのち、間をおいて「万歳」という訣別の送信をおくってきた。未帰還機からの送信がぷっつりと跡切れると、電信室に重苦しい空気が流れた。
この日、二隻の空母のうち、「隼鷹」は艦爆未帰還機四、「龍驤」は零戦一をだした。
『ミッドウェー戦記』

飛行機を上げるエレベーターを、

あんなところにまで吹き飛ばす力というのはどうしたものだろう。
『ミッドウェー戦記』

2016年9月22日木曜日

「なにか戴く物はございませんか」

と、伊藤(清六中佐、首席参謀)がいうと山口(多聞、司令官)は、
「これでも家族に届けてもらうか」
と、頭に手をやり、かぶっていた黒の戦闘帽を脱いだ。
『ミッドウェー戦記』

2016年9月18日日曜日

航空本部教育部長の職にあった大西瀧治郎大佐は

自ら前線に赴いて九六陸攻に乗り込み、僚機が撃墜される様子をその目で見た人物だった。被弾して火災を生じ、胴体内にある中央燃料タンクに火が回り、襲い掛かる炎によって搭乗員が操縦席の風防の際まで追い詰められて焼かれて行く有り様を肌身で知っている大西大佐は新しい陸攻の燃料タンク周囲の防御装備の充実を強く求めた。
『海軍の主力爆撃機"G4M"の栄光と挫折  丸844』

2016年9月17日土曜日

最初の命中弾は、前部の昇降機にまともに当たった。

この一弾は、昇降機そのものをひきちぎって空中高くほうり上げた。そして、昇降機はそのまま空中を滑走して、艦橋の前面に激突した。
このため艦橋の前面ガラスがこなみじんに割れ、その破片が、司令官山口多聞少将や艦長の加来止男大佐ら首脳部の頭上にふりそそいだ。
昇降機はそのまま艦橋の前面にはりついたようになったために、前方が見えず、加来艦長はすぐには艦を操作することができなかった。(「への字に折れまがって、まるで艦橋がふたつあるみたいだった」–– 堤信氏談)
『ミッドウェー戦記』

加速度のついた急降下爆撃機をとらえるのは

容易なことではなかった。
数機を撃墜したが、大部分はのがした。「飛龍」に直接おそいかかったのは十三機であったといわれている。「飛龍」の操艦はみごとなものであった。絶叫する見張員の声に、そくざに回避運動にうつり、七発目までを躱している。が、さすがにそこまでで、あとは力がつきた。
『ミッドウェー戦記』

とにかく、艦長の加来止男(大佐)が、整列した搭乗員の肩に手をかけて、

「だいじょうぶか」
ときくと、
「だいじょうぶであります
と答えはするのだが、上半身は本人の意志に反してぐらぐらと揺れている。そういったあんばいであったらしい。
尋常の疲れ方ではない。
『ミッドウェー戦記』

第一次攻撃隊の被害が大きかったのと、

第二次の生還機の場合は、よくこれで帰ってこられたものだとおもわれるくらい損傷がひどく、修理しても使用できない機のほうが多かった。
『ミッドウェー戦記』

「友永丈市隊長機の最期を見た唯一の目撃者は私なんです。

米空母の艦橋付近に突っ込んでゆくのを見ました。もう飛行機の半分は炎につつまれていましたが、後部ははっきりと見えた。指揮官機であることは尾翼のマークではっきりとわかりましたね」(浜田義一氏、当時「飛龍」艦攻電信員、一飛曹)
『ミッドウェー戦記』

飛龍攻撃機隊 友永丈市大尉機 1942年6月