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2016年10月9日日曜日

一式陸上攻撃機

設計主務の本庄季郎技師は、諸要求を満足させ、兵器としての耐弾性を付与するには、四発機にするほかにないと考えたが、航空廠(十四年に航空技術廠に改編)側から「用兵に口を出すな」と一蹴されてしまった。軍が提示する要求性能を会社が実現してみせるのは当然、との増長が、この時期の発注側に特に顕著だったのは否めない。そのムードを生んだ主役が、同じ三菱の九六艦戦と九六陸攻だったのは皮肉である。
『太平洋戦争 日本の海軍機』


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