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2017年8月19日土曜日

東條(英機)は昭和十九(一九四四)年七月に重臣や天皇の側近、

そして昭和天皇その人の信頼を失って辞職するのだが、その契機となったのは、三万を超える日本兵と一万人以上の民間人が玉砕したサイパン陥落であった。このときも東條は「サイパンを失うことは喩えて言えば蚊にさされたようなものだ」と豪語して、かかる事態に困惑する国民が悪い、精神がしっかりしていないからだと、うそぶいていたのである。
『官僚亡国  軍部と霞が関エリート、失敗の本質』

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