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2015年6月7日日曜日

ほとんどの参謀が、「ガダルカナルってどこだ」

とさわいだ。まえに第四艦隊の航海参謀をしていた土肥一夫参謀は、ソロモン群島方面にくわしいので、ひろげた海図を前にして、
「ここですよ」
といった。しかし土肥はおどろいた。連合艦隊参謀といえば、だれもよく勉強していて、たいていのことは知っているだろうと思っていた。ところが、米濠遮断作戦の要地で、海軍航空基地もまさに完成しようとしているガ島も知らないとは、これはなにも勉強していないのだとわかり、「連合艦隊参謀とはこんなていどだったのか」と思ったからである。
参謀たちは、ミッドウェーの大敗についても、とくに反省している様子はなかった。どの参謀に聞いても、
「あー、あれは運がわるかったんだ」
と、たいしたことではないようにいうだけであった。
『勝つ司令部  負ける司令部』

犬養(毅総理大臣)の軍部への

対抗姿勢や満州国承認への消極的態度は、少壮軍人や極右勢力に強い反感を抱かせることとなり、五・一五事件が起こる。
『昭和陸軍全史1』

2015年6月6日土曜日

しかも、「体面」や「保身」、組織内融和の重視や政治的考慮は、

必要以上に作戦中止の決断を遅延させ、雨季の到来や補給の不備とあいまって、現地部隊に過酷な戦闘を強いたのであった。
『失敗の本質』

「部隊の士気(モラル)が、負傷した場合に

どれだけ早く病院に担ぎ込まれるか、その早さによって高くもなり低くもなるということは、事実でしょう。なぜ、日本軍が敗れたのかということを考えてみると、これが答えの一つになると思うのです」(ジョージ・ドナルドソン氏)
『責任なき戦場』

要するに、作戦失敗の責任は

一線の将兵の戦い方に押しつけられ、三個師団の師団長がいずれも途中で解任されるという、陸軍史上かつてない異常事態が生まれた。
『責任なき戦場』

日露戦争のために東郷(平八郎)がえらんだ

常備艦隊のおもな参謀は……

参謀長 島村速雄大佐

まれにみる秀才であるばかりでなく、私心がなく、体が大きかったように心も大きい。功はすべて他人にゆずり、けっして自分をまえに出さない。
『勝つ司令部 負ける司令部』

「いいでしょう。ただ、参謀だけは

わたしにえらばせてもらいたい。それから、戦場では、大方針は別として、かけひきはいっさいまかせてもらいたい」(東郷平八郎)
『勝つ司令部 負ける司令部』