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2018年1月9日火曜日

ミッドウェー島北東海面で待ち伏せ

応急修理が終わったばかりの「ヨークタウン」を擁した第十七機動部隊が、第十六機動部隊(「エンタープライズ」、「ホーネット)」の待つ”幸運点”にすがたをあらわしたのは、六月二日のことであった。
合流した二つの部隊は、この、ミッドウェー島の北東四百マイルの洋上を、いったりきたりしながら、日本機動部隊の進攻を待ち受けていた。

(珊瑚海海戦での)「ヨークタウン」の傷は

二発の至近弾と、一発の直撃弾によるものであった。至近弾の被害は軽かったが、直撃弾は飛行甲板の下段で爆発し、周囲百フィートにもわたって構造物を破壊していた。
(……)
「どんなにいそいでも数週間はかかるであろう」(工場長のK・ジット大佐と、船体修理の専門技師J・プイングスターグ少佐の見積もり)
(……)
「われわれはこの艦を、どうしても三日間で修理しなければならない」(チェスター・ニミッツ)
低い声だったが、しかし、あくまで断定的なひびきがこもっていた。
――『ミッドウェー戦記』より

2017年7月30日日曜日

鹿屋には正体不明で接触禁止の部隊が木造兵舎にいた。

米軍に大打撃を受けたミッドウェー海戦の敗残兵で、開戦半年で惨敗した事実を隠蔽するため隔離されていたと後日知った。(元海軍航空隊整備兵 宮川貞光さん)

2016年9月24日土曜日

飛行甲板の前方、三分の一ぐらいは吹きとんで

大きな口をあけ、艦橋のまえには吹きとんだ昇降機が屏風のように突き立っていた。(元空母「飛龍」砲術士・右舷高角砲指揮官・海軍少尉 長友安邦氏)
『証言・ミッドウェー海戦』

2016年9月23日金曜日

「燃料アト五分母艦ノ位置知ラセ、探照灯ヲ点ゼラレタシ」

「探照灯点ジアリ」
という電文が、交互に乱打されていた。
闇に機位をみうしなった「隼鷹」の未帰還機が必死になって母艦に呼びかけをおこない、「隼鷹」がそれに応えているのであった。
なお「摩耶」の暗号室である。
闇に巨体を伏せた母艦が打つ「探照灯点ジアリ」という電文が聞こえている。
が、その後も、しばらく未帰還機は、
「探照灯見エズ」
をおくりつづけた。
母艦は、明かりをつけていなかった。原則として、敵潜水艦が潜伏していると予想される海上で明かりをともすことはきびしく禁じられていた。たぶん、未帰還機の搭乗員も、そのことを知っているだろう。承知していながら、なおも助けを求めているのである。明かりが見えない、という悲痛な電文をなんどとなく打ちつづけたのち、間をおいて「万歳」という訣別の送信をおくってきた。未帰還機からの送信がぷっつりと跡切れると、電信室に重苦しい空気が流れた。
この日、二隻の空母のうち、「隼鷹」は艦爆未帰還機四、「龍驤」は零戦一をだした。
『ミッドウェー戦記』

飛行機を上げるエレベーターを、

あんなところにまで吹き飛ばす力というのはどうしたものだろう。
『ミッドウェー戦記』

2016年9月22日木曜日

「なにか戴く物はございませんか」

と、伊藤(清六中佐、首席参謀)がいうと山口(多聞、司令官)は、
「これでも家族に届けてもらうか」
と、頭に手をやり、かぶっていた黒の戦闘帽を脱いだ。
『ミッドウェー戦記』

2016年9月17日土曜日

最初の命中弾は、前部の昇降機にまともに当たった。

この一弾は、昇降機そのものをひきちぎって空中高くほうり上げた。そして、昇降機はそのまま空中を滑走して、艦橋の前面に激突した。
このため艦橋の前面ガラスがこなみじんに割れ、その破片が、司令官山口多聞少将や艦長の加来止男大佐ら首脳部の頭上にふりそそいだ。
昇降機はそのまま艦橋の前面にはりついたようになったために、前方が見えず、加来艦長はすぐには艦を操作することができなかった。(「への字に折れまがって、まるで艦橋がふたつあるみたいだった」–– 堤信氏談)
『ミッドウェー戦記』

加速度のついた急降下爆撃機をとらえるのは

容易なことではなかった。
数機を撃墜したが、大部分はのがした。「飛龍」に直接おそいかかったのは十三機であったといわれている。「飛龍」の操艦はみごとなものであった。絶叫する見張員の声に、そくざに回避運動にうつり、七発目までを躱している。が、さすがにそこまでで、あとは力がつきた。
『ミッドウェー戦記』

とにかく、艦長の加来止男(大佐)が、整列した搭乗員の肩に手をかけて、

「だいじょうぶか」
ときくと、
「だいじょうぶであります」
と答えはするのだが、上半身は本人の意志に反してぐらぐらと揺れている。そういったあんばいであったらしい。
尋常の疲れ方ではない。
『ミッドウェー戦記』

第一次攻撃隊の被害が大きかったのと、

第二次の生還機の場合は、よくこれで帰ってこられたものだとおもわれるくらい損傷がひどく、修理しても使用できない機のほうが多かった。
『ミッドウェー戦記』

「友永丈市隊長機の最期を見た唯一の目撃者は私なんです。

米空母の艦橋付近に突っ込んでゆくのを見ました。もう飛行機の半分は炎につつまれていましたが、後部ははっきりと見えた。指揮官機であることは尾翼のマークではっきりとわかりましたね」(浜田義一氏、当時「飛龍」艦攻電信員、一飛曹)
『ミッドウェー戦記』

飛龍攻撃機隊 友永丈市大尉機 1942年6月

2016年8月21日日曜日

「ひとつ体当たりのつもりでやってくれ、

おれもあとからゆく」
と部下をはげましたとき、かれはすでに自分の死を覚悟していたのだろう。
『ミッドウェー戦記』


「飛龍一隻でなんとか敵空母を全滅させねばならない

という責任感が、つよく肩にのしかかってきた。発艦時の心境は、なんとしてでも敵空母をやらねばならない、やる責任がある、というだけで生死のことなどなにも頭に浮かばなかった。母艦を飛び立ってからも、恐怖は感じなかった」(元飛龍第二次攻撃隊第二中隊長、橋本敏男大尉)
『ミッドウェー戦記』

(第十戦隊旗艦「長良」の)甲板によじのぼった南雲中将は、

(第十戦隊司令官の)木村少将の顔をみるなり、
「木村。この長良で赤城をひっぱれんかね」
と言った。
『ミッドウェー戦記』

「二隻の駆逐艦は、じつによくやってくれました。

燃えあがる巨艦(「加賀」)にすれすれに近寄ってきてくれてですねえ、あれは危険だったでしょう。艦長の名前は失念したが。(筆者注、前述のように、「萩風」は岩上次一氏、「舞風」は中杉清治氏)(同、天谷孝久氏)
『ミッドウェー戦記』

当時の飛行機搭乗員というのは

ミヤモトムサシ(筆者注、宮本武蔵、技神に入っていたというほどの意味であろう)だったですからねえ。こっちが黙っとったら、自分から退艦するようなことはしませんから、当時の軍人は。私は、勝手に飛び込めと怒鳴ってあるいた。当時の飛行機搭乗員というのは、むかしのお百姓さんが米をつくるように、長い歳月をかけて身体でじっくりと覚えた技術というもんがありましたからねえ。(元「加賀」飛行長、天谷孝久中佐)
『ミッドウェー戦記』

2016年8月20日土曜日

それにしても、このあたりの、いわゆる零戦の性能と

乗員のはたらきぶりは、ただみごとというしかなかった。(「撃墜した米機二十機ぐらいまではかぞえていたが、あとはめんどうくさくなってやめた」――当時「蒼龍」戦闘機搭乗員藤田怡与蔵氏談)
『ミッドウェー戦記』

「敵数十機、右三十度、低空、

こちらに向かってくる」
第二波の来襲である。
これは「エンタープライズ」から出撃してきた雷撃機隊であった。
『ミッドウェー戦記』

第一波の敵艦載機が姿をあらわしたのは、

(第一次)攻撃隊の最後の一機を収容するのとほとんど同時刻であった(攻撃隊の収容に要した時間はほぼ四十分)。午前九時十八分のことである。
最初に発見したのは重巡「筑摩」だった。右前方の水平線上から、十八機の編隊が姿をあらわした。雷撃機であった(ホーネット 第八雷撃中隊)。
『ミッドウェー戦記』