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2014年8月13日水曜日

それにしても、中島大尉の

やり方はまずかった。彼は自らの接敵運動のまずさから、初陣において自らの生命を絶った。
彼は射撃の基本である反航接敵、後上方攻撃しか修得していなかったのではなかろうか。
敵を発見したとき、自分が敵より一五◯◯メートルも下方にいながら、敵の目前を、敵より低速でフラフラと上昇し、わずか一◯◯メートルくらいの高度差で切り返し、敵の指揮官機を狙ったのであろうが、自分に速度がないため反覆攻撃ができず、やむを得ず敵編隊の下方へ避退するより方法がなかった。しかし速度不足のため、すぐ敵に食いつかれ、火を噴いてしまったのである。
接敵運動の良否は、勝敗の七割を決するのである。指揮官機たる者は十分心すべきことである。

1 件のコメント:

  1. 私は参謀の命令どおりバタンガスに不時着した。続いて一機が着陸してきた。それは小平飛曹長であった。
    彼は中島大尉を撃った敵を撃墜したと語った。そして待てども待てども、他の三機は帰っては来なかった。

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