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2017年4月10日月曜日

おまけに、この時期(第二次ノモンハン事件のハルハ河両岸攻撃)から、

再三再四「ソ連退却」という関東軍情報を流して、諸隊の出撃を"せき立てた"ヤツがいるのだ("タカ派関東軍参謀"だとか、ズバリ辻だとかの憶測がある)が、事件後は"なにくわぬ顔"でドロン……という次第である。
『ノモンハン事件』

2017年4月9日日曜日

ピアノ線に阻まれて

ピアノ線はキャタピラに深くからみつき、戦車はいずれも「クモの巣に捕らえられた蝶のように」前にも後ろにも動けなくなり、敵の砲火は情け容赦なく降り注いだ。
『ノモンハン  草原の日ソ戦ーー1939』

五味川(純平)氏は、日本陸軍の思考方法は

頑固かつ独善的に敵を過小評価し、理屈に合わなくても楽観するという、百害あって一利ない態度を基本とする"封建的"なものであったとこきおろしている。「やって見なければ何が起こるかわからない。最善を尽くせば道は開ける」という考えはその一つの例である。
『ノモンハン  草原の日ソ戦ーー1939』

2017年4月2日日曜日

「現状の認識と手段においては」

参謀本部と関東軍の間で「いささかその見解を異にし」ているように見えるが「北辺の些事は当軍に依頼して安心せられたし」。
関東軍の乱暴で思い上がった、服従の意思の見られない返電らしきものを受け取って、こんどは参謀本部が腹を立てる番であった。隣国の領土内に戦爆百機以上を送って攻撃したのを”些事”とはなにごとか。関東軍には日本を戦争に追いこむ権利があるのか。どちらが大本営でどちらが現地軍なのか。
『ノモンハン  草原の日ソ戦――1939』

2017年4月1日土曜日

そして多分にあり得ることだが、

もしも”煮えきらない”中央当局が新京での決定に同意しなければ、一九三七年のカンチャーズ事件にかかわった唯一の現職参謀である辻(政信)少佐が個人的にも証言できることだが、今度の場合も統帥の重複のせいで第二のカンチャーズ事件の”過ち”を犯すことになるだろうと論じた。
『ノモンハン  草原の日ソ戦――1939』

彼らは、東捜索隊が全滅したことを告げた。

すると辻(政信)は「全滅とは何事か。君達四人が生き残っているじゃないか」と叱り飛ばしている。
『はじめてのノモンハン事件』

現場に居合わせた一通信兵はもっと辛辣に情景を

説明している。彼の回想では、辻少佐は山県大佐に対し、大佐の同期生である東中佐を救うために指一本すら動かさなかったと痛烈に非難し、戦闘が悲惨な結果に終わったのは、ひとえに山県大佐の”技量の欠如”によると言い切った。
『ノモンハン  草原の日ソ戦――1939』