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2013年10月6日日曜日

戦訓2 ― 指揮官の適材適所(南雲忠一)

太平洋戦争における日本海軍をみても、配置された指揮官が適材適所であったかどうかで、戦局を大きく左右した例がいくつかある。
ハワイ奇襲作戦の陣頭指揮をとった第一航空艦隊司令長官南雲忠一中将。

ハワイを目ざして進撃中の旗艦「赤城」の艦橋で南雲は、参謀長の草鹿龍之介少将にこう言った。
「参謀長、君はどう思うかね。僕はエライことを引き受けてしまった。僕が、もう少し気を強くして、きっぱり断わればよかったと思うが。いったい出るには出たが、うまくいくだろうかねえ」
いかにも不安げな顔色である。
「大丈夫ですよ。かならずうまくいきますよ」
草鹿はこともなげに言った。
「そうかねえ、君は楽天家だね。羨ましいよ」

南雲の性格を見通していた山本長官は、機動部隊の指揮官には小沢治三郎中将をあてたいものだと、側近の宇垣纏少将にひそかにもらしていた。
しかし、人事は海軍省の所管である。軍令承行令という人事・階級の序列を決める海軍法規からもできない相談である。

第一撃の攻撃隊二群は、真珠湾の敵艦艇や航空基地に大打撃をあたえた。艦隊では当然、第二撃の攻撃命令があるものと考えていたが、それがなかった。

「長門」の連合艦隊司令部では、南雲が第二撃を実施しないことに激高した。幕僚たちは第二撃を実施させるか、敵空母を求めて進撃させるか、山本長官に命令電を出すように迫ったのである。
「もちろん、それをやれば満点だ。僕も希望するが、被害状況が少しも分からないから、ここは機動部隊指揮官に判断を任せよう」
といって命令電は打たせなかった。このあと山本長官は、
「南雲はやらんだろうなあ」
と、そばの幕僚にもらしている。山本の推測は、まさに的中したのであった。

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