赤煉瓦(あかれんが)
鉄筋コンクリートがまだ未発達の明治時代には、洋風の建築物の大部分は赤い煉瓦を積み重ねて建造された。
官庁も学校も監獄もそうで、三宅坂の参謀本部(現最高裁判所)、その隣りに陸軍省(現国会図書館)、霞ヶ関の海軍省、軍令部(現法務省)も堂々たる赤煉瓦造りであった。
したがって”赤煉瓦”は両省と軍令機関の建物や所在地、さらにはそこに勤務する軍人たちの代名詞でもあった。
軍人として出世するには一生懸命勉強して赤煉瓦勤務になることが夢であり、ここに赤煉瓦への憧れ、現場への蔑視、それへの反発といったさまざまのコンプレックスも生まれていった。
陸軍省が市谷台(旧自衛隊、現防衛省)に移り、他の建物も東京空襲で崩壊したなかで、元海軍省の煉瓦造りは生き残り、赤煉瓦の代名詞を一身に引き受けていた。
戦後も長い間、法務省として役立っていたが、一世紀の風雪に耐えられず、ついに姿を消した。そしてその跡に一個の記念碑だけが海軍の全盛時代を物語っている。
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