鎮台(ちんだい)
維新戦争が官軍の大勝利で終ったあと、その主力となった薩長土肥の藩兵部隊は、さっさとそれぞれの国もとに帰ってしまった。
新政府がまずやらなければならなかったのが、その治安の空白を埋める軍事力の創設であった。
その根拠地となったのが新たに創設された鎮台であり、その司令部は維新後もとり壊さずに残した各地の城の中に置いた。
明治五(一八七二)年に全国的に徴兵令が発せられると、鎮台の数も東京・大阪・鎮西(小倉)・東北(仙台)と増えた。
明治八年から二一年にかけて、しだいに増強整備して七軍管区六鎮台制となった。これがのちにつづく軍管区の師団となる。
陸軍のこの鎮台も、海軍の鎮守府も文字どおりその任務は国を鎮める治安軍である。
やがて兵力増強とともに戦略単位の師団が生まれて鎮台の名は消滅した。
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