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2014年10月19日日曜日

「直掩」 神風特別攻撃隊・角田和男氏

神風特別攻撃隊葉桜隊、梅花隊、金剛隊、さらに第二〇五海軍航空隊第十七大義隊など十数回にわたって、特攻隊員として出撃した経験がある。

自分自身が特攻作戦を命じられた時は二十六歳だった。部下が皆志望するのを見て「熱望」と書いたという。戦闘機乗りのする作戦ではないという本音は、胸のうちにしまった。
仲間の死と戦果を見届け帰還した角田氏に、ただちに次の命令が下った。神風特別攻撃隊梅花隊に配属されたのである。その命名式で出撃する特攻隊員を前に、白いテーブルに海軍の幹部ずらりと並んだ様子を見て、こう思ったという。
「頭でっかちの海軍の末期的症状」
最前線で日々激戦を生き抜いてきた角田氏は、戦況が如何に切迫しているかを実感していた。
特攻作戦を命じる幹部への不信感も増していった。

(ある特攻隊員のお墓への)お参りの後、角田氏が言った言葉が忘れられない。
「いくら墓参りをしても、亡くなった人は生きて帰ってきませんから」
『日本海軍400時間の証言』

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