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2013年10月20日日曜日

井上(成美)が大佐で軍務局第一課長の時、

軍令部長から、軍令部令及び省部互渉規程改正の案が出された事があった。
その内容を簡単に言えば、軍令部の権限を陸軍の参謀本部なみにうんと拡充して、あれも軍令部によこせ、これも軍令部によこせという、海軍大臣に反旗を飜すようなものであった。
時の軍令部長は伏見宮博恭王で、軍令部次長が高橋三吉中将であったが、この要求は、艦隊派の黒幕、加藤寛治大将が、高橋と気脈を通じて、伏見宮を焚きつけて持出したものだと言われている。
井上は、あらゆる資料を集め、海軍の統制保持上かような改正案は認められないと、理路整然とした反対意見をまとめ上げて、強硬にこれに反対した。論理的には井上の所論に逆らう事が出来ないので、軍令部の南雲忠一など、伏見宮邸で園遊会が催された時、酒気を帯びて井上のそばに来、
「井上の馬鹿!貴様なんか殺すのは、何でもないんだぞ。短刀で脇腹をざくッとやれば、貴様なんかそれっきりだ」
と脅迫したりした。
南雲忠一と山本五十六とは、深い相互信頼の上に立ってのちにあの、真珠湾の奇襲を敢行したように一般には思われているかも知れないが、加藤友三郎、山梨、米内、井上の線上に在る山本と、加藤寛治、末次信正に近いすじの南雲とは、立場も考え方も全くちがう提督であった。

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