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2013年12月21日土曜日

連合艦隊戦訓17 ― 戦場心理 誤報事件

昭和十七年四月二十六日のこと、日本軍はポートモレスビーおよびツラギを攻略する準備でおおわらわになっていたときである。その真っ昼間、ソロモン諸島の北方海域を哨戒中の飛行艇から、「敵見ゆ、空母一、巡洋艦一、駆逐艦二、ラバウルの一一三度二二〇カイリ(南東方面約四〇〇キロ)」
と報告してきた。さあたいへんだ。ラバウル港には、出撃を前にした攻略部隊の船団がひしめいている。
緊急警戒と攻撃準備に、各基地では異常な興奮につつまれていた。ところが、索敵、触接のため発進した水偵や大艇は、視界三〇カイリ以上の好天にもかかわらず、敵を発見しなかった。
ラバウルでは首をひねった。敵発見の位置を調べ直すと、ブーゲンビル島のキエタ沖約二〇カイリの地点ということである。これはあまりに陸地に近すぎる。
どうもおかしいというので、帰投した索敵機の搭乗員たちを呼んで調査した結果、敵発見の地点付近には、船によく似た珊瑚礁のあることがわかった。結局、この珊瑚礁を敵機動部隊と誤認したのであった。
ラバウル方面の第八特別根拠地隊司令官金沢正夫少将(のち中将)は、当時の日誌に、
「敵機動部隊と騒ぎしも実は岩四と誤認、この頃の航空部隊の戦務の悪しきにも困る」
と記し、慨嘆している。

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