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2013年12月1日日曜日

「いよいよ第七師団をやるのか」と、帝は、

この師団を旅順へやることを山県からきいたとき、そうつぶやいてしばらく無言をつづけた。第七師団が征けば、もはや日本は空であった。
北海道出身者をもって構成されている第七師団長は、薩摩人大迫尚敏であった。
全員が旅順要塞の敵の壕の埋め草になることはわかりきっていた。

「士卒の士気はどうか?」
と、帝はきいた。
大迫は薩摩弁まるだしで、士卒がいかに張りきっているかということを、大声でのべた。
「戦に勝つ、勝ったあと、北海道の師団ばかり征かんじゃったとあらば、北海道ンもんは津軽海峡の方ば顔むけ出来ん、ちゅうてどぎゃんにも焦っちょりましたるところ、ありがたくこのたび大命くだり申して……」
と、大迫はやったため、帝はよほどおかしかったらしく、声をあげて笑った。旅順へゆくというこの師団の陰惨な運命への思いやりが、この大迫のユーモアをまぜた報告のおかげで、帝の胸を霽らした。
「開戦以来、お上があれほど大声でお笑いになったことがない」
と、岡沢精侍従武官長があとで述懐した。

第七師団長 大迫尚敏

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