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2013年12月1日日曜日

伊地知が得る前線状況は、

多くは第一線の青年将校からのまた聞き(階級的段階をへての)であった。乃木はそれでも苦情をいわなかった。乃木は金州で長男をうしない、のちにこの戦場(旅順)で次男をうしない、さらにかれ自身も出征の当初から死を決意していたが、かれの最大の不運はすぐれた参謀長を得なかったことであった。
乃木の高等司令部は、参謀長である伊地知の存在のために前線の感情からうきあがってしまっていた。
ある旅団長は、たまりかねて東京の長岡外史に手紙を書き、
「伊地知は、作戦というものをなにも知らない。つねに敵情や前線の事情に即しない命令を出してきては、いたずらに犠牲をふやしている」
と、直訴したりした。この文章のなかに伊地知のことを、
「老朽変則の人物」
と、きめつけている。
死傷者一万六千にのぼった第一次総攻撃のあと、伊地知参謀長が満州軍に送った報告文は、ほとんど素人同然の内容で、その粗末さは児玉らをおどろかせた。
「諸報告を総合するに、敵の堡塁や砲台は予想以上につよい。堡塁は堅固に掩蔽されており、しかも堡塁外を掃射すべき銃眼をそなえている」

 

 

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